田中康夫

 

 

 

プロフィール

田中 康夫(作家、政治家)

1956年生まれ。一橋大学法学部卒。1980年『なんとなく、クリスタル』で作家デビュー。

2000年から政界に進出し、長野県知事、衆議院議員、参議院議員を歴任する。

本人Twitter:田中康夫@loveyassy

事務所Twitter:田中康夫Office@yassy_office

公式サイト:田中康夫公式サイト

 

 

(以下、会見録。年月日不明)

 

 

弊会は数度、田中康夫氏と会見を行ってきました。その中から、当時のファッションや大学生の生活について、或いは小説についての氏の考え方を述べられた部分を抜粋して掲載いたします。

氏のメッセージをお楽しみ下さい。

 

 

――小説はもう書かないんですか?

 

田中 今、短編集を出して…野生時代に載ってたやつをね。今度は三月くらいかな。

 

――矢張り、『なんとなく、クリスタル』のように?

 

田中 一作目で言った世の中って言うのが180℃は回転してはいないんですよね。だから、そういう意味で、エポック的なものはなかなかまだ作れないと思うんだね。今度は男、ある意味僕に近い人を主人公にして、時代を疾走している、と言う感じを考えています。

 こないだ、林真理子嬢と会ったときにね、彼女大変怒っていたんだ。ラジオ番組に愛人バンクの女の子がゲストで来て、「月にン十万円、オジサンと寝てるだけでもらえるのよ」って言うんで、林真理子嬢が怒ってたの。「あたしが一生懸命机に向かって原稿用紙に字を埋めていっても、一枚ン千円なのに…」ってね。だから、「あたしの稼いだ金と彼女の稼いでいる金とは質的に違うのよ」って言ったんですけどね。確かに稼いだ方法は違うけど、『お金』としては同じなんですよね。前にも話したけど、ブランドとしての価値と言うのは、このマフィンもルイヴィトンも、住友銀行に勤めるってのも同価値なわけ。そういう全てのものが同じスケールで測られている時代で、しかも、ある種人間趣味なんだよね。「朝のシャワーが良い」って言うけど、何故シャワーが良いのかってのは考えない訳。まさにその段階の感覚だけでしょう。そういうのは変わっていない訳ね。

 だから、一作目や二作目で言ったことと全く違う世の中の空気って出て来てないと思うんだ。180℃違うようなね。日本の宗教って「本来移ろい易いものだから努力するとか、努力しても人間が出来ないことがあるから、努力する楽しさがある」ってこととかないでしょ。何かこう、「負けてたまるか!」とか「どの子も育つ」とかね。どの子も育て方次第で全員育つんだったら。全員浪人しないで早稲田に入れちゃうんだよ。努力しても江川がタモリにはなれないし、タモリに田中康夫もなれないから、面白さがあるんだよ。精神的な何ものかへの回帰っていうのは一見オジサン達は安心するんだよね。物だけじゃないって。だけど、僕はそれは大変危険なことだと思うわけ。精神的なものと言うのは、「愛が移ろいやすいから努力しましょう」と言うようなことに裏付けされた宗教的なものに行くんじゃなくて、日本は「負けてたまるか」の方の情念の世界に行っちゃうような可能性が強いと思うわけ。

 最近思ってきたのは、ドラマの無いものがドラマになっちゃってると思うんだよね。例えば、失恋するとその日は多分泣いているだろうけど、次の日は山手線の中で格好良い男の子が乗っていたら、「あ、いいな」って思っちゃうわけでしょ? 振られたから、わざわざ本屋に行って岩波文庫の旧仮名遣いの恋愛論の本を探してきて読もうってな人はいないわけじゃない。みんな実地体験で終わっているわけじゃない。勿論、彼女にとっては、振られた日に泣いて電話したって言うのはドラマだけど、従来の意味でいうドラマになっていないでしょ? 一つのワンシーンで終わっちゃってるわけだ。それが、僕みたいに活字によって、映像の力を借りずに、台詞じゃなく地の文で、しかもドラマのないのがドラマである人を描くのは極めて難しいと思うんだよね。と言って、村上春樹みたいに、空想の寓意の世界の中に入るのって、僕は割合リアリストだから書けないわけ。

 

――田中さんだったらどういうドラマを作られますか?

 

田中 そんなもん、タダでは喋らないよ(笑)

 

 

 

――『笑っていいともは』いつ頃まで?

 

田中 三月までは続くでしょ。

 

――あれもそろそろマンネリしてますよね。

 

田中 常にそれは何だってそんなもんだよ。

 

 

 

――うちはマスコミ志望が多かったんです。田中さんは作家であり、出版、TV界に知り合いも多いと思うんですが、最近TV界が欲しがる人間は、複製のサラリーマンタイプの人間が多いんじゃないかと言われていますが、実際はどうなんですか?

 

田中 別にタイプじゃにね。能力のある人間は何処の企業にだって入れるし、ない人は何処にも入れないんですよ(笑)その能力は一言では言えないけど…。その、面接をした人が決めることであって、計量化出来るものじゃないでしょうね。だけどね、大体お利巧さんな人は僕も含めてマスコミに行かないんじゃないでしょうか。やっぱり、学生時代に編集者になろうとか、TVに行こうとか思っても、大体毎回同じようなことをやって、バカみたいと思うから。それが、僕の持論です(笑)

 

――僕はマスコミはある種の特権技能じゃないかと思っているんですけれども。

 

田中 そんなことはないよ。大したことない人もいっぱいいるでしょう。何処の社会もそうなんだよ。東大だって、本当にキれる人は一握りでしょ.。早稲田だって。ただ、会社のカラーってのはあるよね。会社からリジェクトされたら、「此処では僕のカラーが合わなかったんだ」って思えばいいんじゃないかな。それは何処でもあることだし。

 

――例の事故の後ですが、『アサヒ芸能』や『プレイボーイ』に、田中さんと火野正平と篠塚利夫を比較している記事がありましたけど…

 

田中 別にどうも思わないよ。それは仕方ないでしょう。結局、昔は政治家とか全くのプロパーな芸能人とかのプライバシーがなかったんだけど、それがどんどん広がっているわけでしょ?カメラマンだったりコピーライターだったり。世の中の人がそれを楽しいと思うことなんだからね。だから、そういうことが出て怒っている人ってのは、本来世の中に出てこなけりゃいいんです。

 

――取材攻勢は鬱陶しかったでしょう?

 

田中 いや。あの時はみんな僕のコメントを取れないで記事を書いているでしょ。本来コメントを取らないで記事を書くのはいけないんだけどね。

 

――『笑っていいとも』で別れた奥さんがヌードになった時に、レポーターの取材に怒っていましたね。

 

田中 いや、あれは僕は基本的にテレビ朝日のはちゃんと受けているんです。なぜ、日本テレビに怒ったかと言うと、アルタの敷地内で許可を得ないで勝手にカメラを回したから。取材の基本的な約束事を守らないで始めたから怒ったんだよ。まぁ、僕には直接関係無いことだもんね…。 

 最近面白いと思うのは、『with』という雑誌が何故売れたかと言うと、今までの雑誌の作り方って常に上昇ベクトルでしかなかったわけだよね。『more』とか『lee』が出る時にはさ、そういう上昇ベクトルの延長線上でしかなかったでしょ。『more』や『lee』は洋服の金額を高く買える人のを載せる。ライフスタイルももうちょっとグレードアップするって言う。それは同じパイの食い合いになるんだよね。それより高い人達ってどんどん数が限られてくるわけですよ。それに対して、当時雑誌がどれも売れなくて、このままじゃ倒産するぞ、どうしようって言うんでじゃあもう集英社の物真似でもするしかない、と言う風に『with』を出した講談社って言うのは、あの垢抜けない編集部のセンス、レイアウトの汚さが現在の『with』の成功を導いたんですね。つまり、例えば、『女性セブン』『女性自身』『週間女性』って言う風に女性誌があるけれど、『週間女性』は買えるけど、残りの二つはどうも安心出来ないって言う人はいつの世の中でも女の子には必ずいるんですよね。世の中の人達って言うのはみんな上昇ベクトルのものを新しく作ることしか頭に無いんです。ところが、『with』って言うのは結果的に下降ベクトルの雑誌になりえたわけですね。つまり、今までグラビア雑誌を読めなかった人も、安心して読めるのが『with』というグラビア雑誌だったんですね。下降ベクトルの方向ってのは、一端成功してしまえば無限の可能性があるわけなんです。講談社は結果的に上昇ベクトルにしようとしたんだけど、下降ベクトルのものを作り得たために、雑誌の成功があったんです。

 『オリーブ』という雑誌は、今はもう高校生向けの雑誌になったけど…神戸ってある意味じゃ流行を作り出している町だと思うんですよね。これはどういうことかというと、藤新也や、筑紫哲也が期待しているような若者の風俗を作り出しているわけじゃないです。つまり、代々木公園で始まっているような風俗を作っているんじゃなくて、そうじゃない風俗、つまり、ある意味では神戸から始まっているんです。具体的には、たとえばマスコミせかいでいまのふりーのらいたーのせいこうした、ステータスシンボルのようなバッグに、『ハンティングワールド』ってのがあるんです、それはある意味じゃマスコミ業界の『ルイヴィトン』なんですね。こいつは1980年位に甲南大付属の高校生背って81年頃から『ハンティングワールド』のバッグを持っていたのね。あと、『ゲラルディーニ』っていう女物のバッグがあるけど、これも最初東京では安そうだなと思われていたんだけど、これも神戸からはやりだして、今ポシェットのゲラルディーニを持ってるでしょ。神戸って結局、自宅通学の人が多いのね。神戸の街って山のほうに行くに連れて高所得者になるんです。香港的なんだね。格差があって。街も小さいから遊ぶ場所もないし、行く店も少ないし…。大阪だとディスコなんかですぐに女の子と知り合いになれるだろうけど、神戸の場合、ナンパしたりするとすぐ皆にばれちゃうんだよね。それで、保守的な感覚が出て来る。そうすると、新しい店も少ない、自由恋愛のチャンスもないとなると、甲南とか甲南女子、その多種主の私大の女の子って、将来に対する自分のビジョンって何も持ってないんですよ、多分。だけどおお金持ちが多いから結構そういう親が十分暮らしていける金を用意してくれているし、学校は楽しいとなると、あとに残されたエネルギーは「今一番新しいものは何か」ということに費やされていってしまうんですね。だから、彼らって言うのはそれを追求したわけ。東京の場合は例えば、慶應の幼稚舎から上がってきたとか、成城や玉川や聖心とかって言っても、大学となると全国区だからね。たまたまそこの偏差値だったから受験して入って来たと言う子が増えるわけです。すると、「新しいものを見つける」って緊迫感が大学に入ると途端に薄れてしまうわけです。神戸は地方区の学校だから、大学に入ってもそれが続くんですよね。それで『オリーブ』って雑誌は神戸的な雑誌だったわけね。一年前に、『オリーブ』が特集していたことは、今『more』がやったりしているわけ。先に進みすぎてたわけね。『オリーブ』を東京で呼んでた人って言うのは、山手線の内側じゃない、ミッション系の女子高に通っていた女の子が多いんだよね。偏差値的にはもうひとつだけどって言う高校にね。そういう学校って一学年が大体200人前後で、一応親の見栄でミッション形に入れるって言うのは神戸における甲南女子と同じような雰囲気があるんだよ。その子たちが『オリーブ』を読んでたっていうのは…『オリーブ』ってやっぱり進みすぎていた雑誌と僕は思うんです。今は路線変更しちゃって面白くないなぁ。

 

 

 

――田中さんは昔の小説を馬鹿にしていたようですが?

 

田中 そんなことはないよ。

 

――でも、『なんとなく、クリスタル』に何かそういうのを書いていたでしょ? そういう人生とか…

 

田中 具体的な行動をする前にそれがどういう意味を持つかということを考えずに行動しているわけでしょ?僕は、新岩波朝日文化人って名前だけで読んでるんだけど…昔、岩波文庫・新書、天声人語を毎日読むことが少なくとも知的になるための必要条件の一つであるって信じて疑わなかったわけでしょ?今日、西武のブックセンターにわざわざ『広告批評』『ダ・カーポ』『ブルータス』『ビックリハウス』『宝島』っていったジャンルの雑誌をキオスクや自分の家の近くにある本屋で買わないで池袋の西武ブックセンターに買いに行く人たちって、僕は形を変えたい新岩波朝日文化人だと思うわけ。そういう人たちってある意味で極めて精神的なブランド信仰者って気がするわけね。例えば『ブルータス』ていう雑誌は「朝、シャワーを浴びるのがエグゼクティブだ」っていうことで登場したわけだけれども、それを読んでいる人たちって「何故エグゼクティブなのか」って言うのを考えないでしょ。「コカコーラは美味しい」と言うのも、「何故か」というのは考えないし、すごく自分の中で精神的処理ができないわけですよ。一つ一つのきわめて感覚的な行為っていうのにも一つ一つの理論、理由をつけないと安心できないっていうのが、新岩波朝日文化人なんですよ。僕が言ってるのは、明治大正期の小説のことを言っているんじゃなくて、そういう傾向って言うのに対していっているんです。

 

――自分の小説に対しては一流だという意識はありますか?

 

田中 少なくとも一作目は、時代的に残るでしょうね。みんな、これはブランドの小説だって言ってますけど、これは結局、初めて日本はアメリカの占領国だって言ったものだと思うんです。村上龍までの小説っていうのは「ヤンキーゴーホーム」的な小説だったと思うんだよね。僕のって言うのは、「コカコーラが今一番新しい」ってそこに何の理由もつけないっていう人たちを描いたのであって、これは日本はアメリカの被占領国でしかないことをいったんだと思うんだよ。でも、そういうことって誰もが思っていたんですよ。アメリカのおかげで本も読めるしいい家にも住めるし、飯もうまいし…でも、それを言ってしまうということは、自分が裸の王様であるってことを自ら告白してしまうことにつながるわけなんですね。それは決して口に出してはいけないことだったんです。「ヘンタイよい子」の人たちというのは、「ちゃんと、本音を言ってます」てなことをいっているけど、ちゃんとビックリハウスのインタビューでは「僕は、いつも本を小脇に抱えてうつむいて歩いているような女の子が好きです」って必ず言っているでしょう? 決して本音じゃなくて、ちゃんと建前になってるわけだね。つまり、そういうことをしていかなければ、自分は裸の王様だ、飯の食い上げだってことだったんですね。それを田中康夫は「コカコーラは美味しい…それで終わり?」というか、「ウェルカムヤンキー」被占領国だって言っちゃった。これが感情的に許せない行為なんでしょうね。もっと時代が経てば、一作目の作品は評価されるんじゃないですか?今の文芸評論家に理解してもらうっていうのは難しいことでしょうね。

 田中康夫が言いたかったことっていうのは、ブランドの羅列じゃないわけですよ。僕が言いたかったのは、「すべての価値が等価値になってしまった」ということで、戦後理想とされた世論が全部崩れた時代に、頼るものは現実に目の前にある、物質…もう一瞬経てば確かなものではないかもしれないけど…その瞬間、その目の前にある物質しか頼るものがないってことを言いたかったんです。この間も、講演で言ったんだけど、「ライフ」というものが全て満たされてしまっている時代なんです。ものに帰結しているって言うのは…。洋服も本来は、裸じゃ寒いから着ていたんだけど、第一義の目的を果たすためのものってみんな持っているですよ。食べるものにしてもね。そうして、第一義の目的が果たされると、人間は次の目標に拘るようになる。デザイン、肌触り、色…そういう、第一義以外の目的に重きを置くようになると、これは、みんな人生の全ての行為の一つ一つはスタイリング化現象になるんです。ものに拘っていくということは、そういうことなんです。都会のような、一定面積より人口が多いところに住んでいると、自己証明できなくなるんです。そうなってくると、ほかの助けを借りるようになる。それが、みんなブランドなんですよ。ライフが満たされると、みんなスタイルを求めていくんです。

 

――今後、小説家としてはどういうものを書いていくつもりですか?

 

田中 テーマはいくつかありますが…齢がこないと書けないものもありますしね。具体的には書き下しをやる予定です。

 

――パターンに変化は?

 

田中 それはあると思いますよ。都会における自己証明とかアイデンティティの問題になるんじゃないかなぁ。書くとしたら。水曜日の朝日新聞の若者欄を必ず三週間に一度読むけれど、でもあそこに投稿しない人っているわけね。投稿している人たちとは違う意見なんだけれど、でも、投稿しようとするエネルギーは他のところに向けている人っているでしょ。そんな人の代弁者であればいいって思っているわけ。僕はこないだ『anan』で『オールナイトフジ』のことを評価したわけだけど、雑誌やスポーツ新聞の中には「低予算、低俗、素人のとちりながら喋る番組を、夜中に流して電波の無駄だ」とか言っているけれど、あれは手作りテレビの原点なんだよね。そんな素人の女の子がとちりながらやってて、興が乗って来ると終わる時間が延長されるでしょう。これはまさに、フランスのテレビの討論番組が盛り上がると次の番組が潰れてやるのと同じで、これこそテレビの原点に戻った番組なんだよね。だから、女子大生ってのはブランドなわけでしょ。別にいいじゃない。素人が参加してるというのでは、穿った見方をするとCATVへの対抗にする商業テレビとしての実験でもあるわけじゃない。

 

――素人と言っても、セミプロがほとんどでしょう?あの番組に出る女の子って。

 

田中 基本的に僕は、あの番組に出てる子たちって真面目だと思うわけ。夕方六時から明け柄まで拘束されて、一日一万円。っていうんじゃ、本当に遊んでいる子なんて出てこないと思うよ。しかも、土曜の夜だからね。

 

――それも、そうですね。

 

田中 オールナイトフジをみんな下らない、と言いながら見ているのは、それだけ凄い番組だと思うよ。

 

――でも、「下らない」って言いながら見るのがテレビじゃないですか?

 

田中 だってそういうこと言ってる人たちって、もっと原点に戻って知的な互いの結びがあるテレビを作らなきゃって言ってる人たちでしょ?おかしいんだよ。だから、ビートたけしもね、あのうちの半分位の女の子とセックスしていればね、もっと冷静になって明石家さんまと番組に出てきたときも、「こんな番組くだらねぇ」なんて言わないだろうと思うんだよ。

 

――今、雑誌やテレビで面白いなと言うものはありますか?田中さんから見て。

 

田中 僕はあまりテレビを観ないし…。『オリーブ』って言うのは昔は僕のアンテナ雑誌だったけど、今は変わっちゃったからねぇ…。

 

――田中さんはどういう動機で、学生の時に『なんとなく、クリスタル』を書いたんですか?

 

田中 他に書く人がいないから(笑)

 

 

 

――城山三郎さんが、胡桃沢さんの直木賞受賞に関して起こした行動については、どう思われますか?

 

田中 城山氏の言っていることは理論的には正しいわけです。賞って言うのは例えば、MVPとるのにしても、「この選手は今年獲らせなきゃ可哀想だなぁ」って言うんで賞をあげるわけじゃないんでしょ。他の選考委員も、「作品が良いから賞を、なのに城山氏は作品が悪いと言って、降りた」って言うのなら分かるけど、「可哀想だから」って言って賞を獲らせたんでしょ?そんなのはどんな賞にも無いわけですよ。他の世界でもそういうことは。

 

――例えば、賞を獲るにしても、ある程度編集者に知り合いやコネがあれば、それだけで有利になるって言う…全くコネの無い人間がいくら投稿しても…

 

田中 そんなことはないよ。

 

――いや、ありますよ!

 

田中 例えば、就職の時に、電通にお父さんの知り合いがいるから、それで正社員でいれるというのはこれはもうその子の能力の一つなんですよ。

 

――そんな…

 

田中 だから、勿論、そんなコネがなくても素晴らしい才能でもあればコネが無くてもテレビ局だって入れるわけでしょ?

 

――だけど、アンフェアだと思いますね。

 

田中 まぁ、フェアじゃないけどねぇ。

 

――コネも実力のうちですかねぇ。

 

 

 

――再婚の意思はございますか?

 

田中 ないです。相手が可哀想だしね。仮に好きな人が現れてもね。子供をかわいがってマイホームを作って、かつそれで僕が新しいものを見つけていけるかどうかというと、そういうタイプの人間じゃない気がするから。勝手な論理じゃないんです。その僕を理解して、僕にとっての母親になってくれて、僕がまめに尽くしてあげられる対象にもなれる、相互にそれが出来るような女の人って、なかなかまだ僕と同い年か僕より下では現れないでしょうし。それよりは、好きで付き合ってても、結婚を仮に相手がしたいと思っても、しないで別れてしまった方がその瞬間は彼女にとっての不幸であっても、結婚した場合よりは不幸ではないでしょう。

 

 

 

――政治には興味はありますか?

 

田中 僕は基本的に、どんな正しいことであっても、それを大きな声で正義であるかのように叫ぶ人って、ホントにそれが正義であっても危険だと思っているわけ。勝手連みたいなのは、コウタローちゃんは好きだけど、僕はそれは何らかの精神的情念の世界での運動だから、ベクトルを間違えちゃえば、大政翼賛会と同じになっちゃうと思ってるわけ。

 

――特に支持している政党は?

 

田中 応援演説したいというのは無いね。選挙には行くけど。

 

 

 

――最近の恋愛観についてどう思いますか?

 

田中 僕はね、今ってブティック恋愛だと思うの。女の子でも、客観的条件っていくつかあるわけでしょ?伸張とか、車とか、将来性とか、ルックスとか…その条件を満たす男ってなかなかいないでしょ?だから、二、三人のボーイフレンドと付き合っていると、それを補完して、ある程度彼女の条件の90%位は満たしてくれるわけでしょ?だから、平行恋愛が崩れた今にはお見合い結婚にしても、好きだから、と言うんじゃなくて、自分の客観的に許せる条件範囲内にいる人であれば、愛まで行かなくても、結婚すりゃ恋か好意くらいまでは芽生えるかもしれない、って思ってる人っているわけでしょ?ある意味では、賢い選択なのかもしれないね。

 

――その状況を危うくすると言うことは?

 

田中 僕はね、世の中に現れきたことを無批判に受け入れるってんじゃなくて…それはないですね。言葉の乱れにしても、それが新しい文化を生むかもしれないし。