北方謙三

 

 

 

プロフィール

北方 健三(小説家)

 

1947年生まれ。中央大学法学部卒。主にハードボイルド、歴史小説を執筆。雑誌『ホットドッグ・プレス』連載のハードボイルド人生相談「試みの地平線」でも知られる。

 

 

(以下、会見録)

 

 

:あの、人物研究会ってなんなんですか?

 

――二十五年位前に出来たサークルで、著名人等にお話を伺いまして、こういう風に…。

 

:ああ、そうか。人間観察をするって言うね…。

 

――そうですね。

 

:なるほど。

 

――ええ。観察をして、何か足しにでもしようかな…みたいな(失礼すぎ)。

  時には、講演会なんかも年に二回ぐらいやるんですけど。

 

:僕はどうすりゃいいの?

 

――ええ、まぁ、一応僕らの話に…。

 

:はい、わかりました。何か、訊いてくれる訳ね。

 

――はい。これ、お茶…。

 

:あ、大丈夫です。珈琲が良いです。何か今までに面白い取材とかありました?

 

――ええ。色々ありますが…。僕が入ってからまだ短いんで、それほど会ってないんですが、結構面白いって言うか、なかなか感動するような取材もありましたね。

 

:例えば、誰を呼んだの?

 

――呉智英さんとか…。

 

:あ、呉智英さん。落合さんかと…。

 

――(笑)あと…うん…白川勝彦さん。

 

:白川勝彦さん?

 

――はい、あと、ビッグコミックスの編集長の方ですね。

 

:はぁはぁ

 

――あと…永井豪さんという漫画家の。

 

:なるほどね。

 

――他には…蛭子能収さんとか…、まぁそういう…今年というか去年は…。あと講演会で、高野幸子(?)さんというジャーナリストの方の講演会をやったりとか。春先は…ありましたかね…鈴木邦男さんていう一水会の…。

 

:で、何か足しになったのかい?

 

――まぁ…足しにって言うか…

 

:(苦笑)

 

 

 

◆北方謙三が発する言葉とは?

 

:私呼ぼうとしたのどうしてよ?

 

――やっぱりまぁ私が…

 

:どの位置に私は位置づけられたんだろう?

 

――僕らあのぉ、政治的とかそういう…

 

:でも、野村秋介なんかその生き方がイデオロギーと明確に関係してくるでしょう?

 

――関係はしてるんですけど、それをやっぱ感じさせないっていうか…

 

:それを感じさせるところが彼のスタンスなんじゃないの?

 

――あぁ。それはそれほどその時には政治的な立場をそれほど打ち出さなかった…

 

:だから、君は見出せなかったけど、野村秋介にとっては絶対的なものだったわけでしょ?

 

――ああ、それは…。

 

:自分の政治的な立場が絶対的なものではないって、皆政治的な正義は相対的なものに過ぎないて言うのは君の考え方であって…。

 

――ええ。

 

:でも、彼の場合は、ある一つのものが正義であるという立場に立って…。

 

――ええ。そこで、北方さんの小説の中では男が過去に傷みたいなものを背負って、それを、自分の弱さと自覚しながら、なんていうか、やせ我慢しながら、生きていくって主人公が多いですよね。それで、北方さん自身のあの、ま、マスコミなんか通じて流れてくる、ニュアンスでは、そういうのが多いんですけど、北方さん自身にとっての矢張り、そういうものは、まぁ、色々な本やなんかを見ると、全共闘時代の出来事であり、或いは、純文学をやった時代のその、挫折感である、みたいな…。

 

:文章を書くというのは、原稿用紙の上で嘘付くのが商売な訳だから、君たちが本当だと思ったら本当かもしれないし、嘘だと思ったら、嘘かも知れない。恐らくは人間のね、虚実というのはね、本人にすら分かってないような所はあるだろうなぁ。僕は、確かに、具体的な歴史を語れば、高校時代に病気をしたりしたし、それから大学に入ってからは全共闘の活動もしたし、文学の経験はつめなかったけれど、平面的にずっと歩いてきた、十年くらいやってきた、って言う歴史はあります。それは自分の中で生きているのか、もしくは、死んだ記憶なのか、なんてことは僕は口で語ってもしょうがないと思っているし…

 

――だからこそ、書き続けるのでしょうか?

 

:そうですね。書くしかないでしょう…。なんか高倉健さんみたいなね

 

――ははは。

 

:あの人なんかのインタビューで、役者がしゃべれるのは、映画の中だけですとか何とか…(笑)答えたことがある。

 

――北方さんも、やはり高倉健さんみたいな意識を?まぁ高倉健さんの場合は映画の中だけですけれども。

 

:私は、何度も高倉さんにはお会いしたことありまして。その映画の中にある高倉健と、特になんていうのかな、東映の任侠路線をやってた頃の高倉健と。実像って言うのはずいぶん違うものでしたから。だけど、あの当時、確か東大のね、映画のポスターに、まぁ高倉健に影響を受けたようなもののポスターが誰…だったかな?橋本治が作ったんじゃなかったかなぁ…

 

――あぁ!

 

:「止めてくれるなおっかさん。背中を一生追わないで」っていう刺青をしてさ、上半身裸になって坂をこうやって。学生…学生と言うか、まぁそれが、大学祭のポスターで昔あったね。丁度一番、全共闘が盛んだった時期だね。早稲田は今も強いわけでしょ?

 

――まぁ…、今、社会的にはなんか怖いものになってる…。

 

:早稲田の看板上存在しないことになってるけど、本当に存在しないの?

 

――まぁ存在はしてるんですけども、体外的には全く存在というものはないという感じなんでしょうね。

 

:だって、戸山(文学部キャンパスのこと)なんてすごかったんでしょ?

 

――戸山…

 

:戸山校舎のほうでしょ?凄かったんじゃないの?

 

――いや…まぁ…

 

:まだまだでしょ?

 

――法学部以外は…法学部を除いては…

 

:いや、だけど、本来的に、元々の最大拠点ってのは恐らく文学部だったよね。俺等の時そうだった、確か…。

 

ーーそうなんですか?

 

 

 

北方謙三の全共闘時代

 

:早稲田の文学部は、完全に革マル(注:日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派のこと)の下に制圧されてて、それをさ、排除しに俺行ったことある。

 

――あっ、そうなんですか!中央大学の学生だった頃にですか?

 

:そう。赤いヘルメット被って行ったら、早稲田の奴にポカポカ殴られてさ(笑)

 

――(笑)

 

:さんざんポカポカ殴られてね。で、闘おうと思って、火点けてね、ばぁーって出てきた奴に…

 

――その時、なんか生きてる実感みたいなものをこう…

 

:あの時は、革マル憎らしかったからね(笑)

 

――(笑)後で考えて、小説を書く時に、「その時俺は生きていたみたいな」?

 

:いや、でもね、小説に生きたことはないね。その経験は。あの時に殴り合いして怖かったなっていうその、恐怖感みたいなのは生きてるってのはあるけど。

 

――はぁ。なるほど。

 

:あの時憎らしかったなという思いみたいなが、今生きてるかって言うと、ちょっとあまりないね。

 

――ああ、そうですか。

 

:あの時はナリオカ(?)と言うね、わりとこうエリートな左翼ってのがいて、それが革マル派の全学連(注:全国学生自治会総連合のこと)の委員長だったんですよ。それを捕まえて殺せって言われてさ。

 

――すごいですね!

 

:ところがさ、文学部の自治会の委員長しか捕まえられなかったんだよね。それを滅多打ちに叩いてたら、そいつがさ、「もう、殴るの止めてくれ」って行ったんだよ。「殴るの止めてくれって。俺は、もう故郷に帰って百姓をやるから」みたいなね。要するにもう、早稲田辞めるし、学生運動も止めて、故郷帰って百姓やるし、もう殴るの止めてくれって、そういう意味のことを、泣いて頼むんだよ。

 

――はぁ。

 

:それをなんか遠くから見てた奴がいるらしくって、それを小説にそのまま同じ文句で書かれてるから。これはやっぱり君らの先輩で、有名なコピー会社の社長の弟がいるんですよ。

 

――へぇ!

 

:俺は誰だとは言ってないよ(笑)あれも、学年も同じだから、だから多分ね、遠くから…。

 

――それは北方さんたちの間ではもう、有名な話になってるんですか?

 

:たとえば?

 

――その、殴られて、もう止めてくれっていう…

 

:いやいや、俺が殴ってたから!言ってるだけで。

 

――そうなんですか。もう、目の前…その、当事者で!

 

:遠くには、遠くって、遠巻きにしてるぐらいの奴らまでしか聞こえなかったですよ。

 

――はあ、そうなんですか…。

 

:だから、聞いたのは百人ぐらいでしょう。

 

――何人ぐらいで殴ってたんですか?

 

:いや、その捕まえたは奴四、五人くらいだよ。他の所でも、わーってやってるわけだから。とにかくナリオカ(?)を探せって話だったから…。それで、ナリもいないし…早稲田の文学部の革マルを軍事制圧しろと、で、追い出して、徹底的に痛めつけて追い出して、その常駐するわけじゃないんだよね。アメリカみたいに(笑)。その、外人部隊として行ってるわけだから、自分とこに帰る訳じゃないですか、帰ったらもうめちゃめちゃにやられてたね。早稲田にはマルセン派(注:マルクス主義戦線のこと)っていうね、分派がいっぱいいたんですよ。これは赤いヘルメット被ってたんですけど、白い筋を入れて、マルクス主義戦線って言う、マルセン派って言うのが、政経学部とかにもいたのかな。あと、社青同(中:社会主義青年同盟の事)の解放派がいたのね。で、そういう奴らが、皆まとまって、対抗したんだけど、反撃してきた革マル派にあっという間に、追い出されて。あと、相当、所謂、乱敵狩りみたいなことをされてさ。

 

――どうして、その時学生紛争に走ったんですか?

 

:俺走ってないよ。

 

――あぁ、走ってない…。

 

:俺は、歩いたくらいだね。

 

――歩いたくらい。

 

:つまりどうしてかと言うとあれは基本的には、マルクス主義に基づいた革命をしようと。これはどんな小さなことでも、例えばあの当時はけしからんと言うことであって、とりあえずトイレにトイレットペーパーがないから、トイレットぺーパーをよこせって言うんだって、そういう組織があるんですよ。それは、辿り辿って行けば、まず最初は大学の資本主義に対するものについて、大学を一つの最後の拠点にして、そこからまた労働者も出て行って、日本に軍事革命を果たしたいというものが学生運動の最終目標でしょ?革命運動なんですよね。と言うことは、根本に何があるかというと、マルキシズムがあるんですよね。

 

――はぁ

 

:一応マルキシズムの運動だと言うのは、僕も心得ていたから、だから『資本論』ぐらいから読んでみようとか思うわけですよ。で、読んでみたら、読めないわけですよ(笑)。で、しょうがないから『共産党宣言』ぐらいを読むわけですよ(笑)

 

――(笑)

 

:で、『共産党宣言』を読んだくらいで『資本論』を読んだような顔をしてね(笑)

 

――実際その場にいた学生のほとんどは、同じような感じで、お祭り騒ぎみたいなのがあって、そこに…。

:お祭り騒ぎだったかどうだったかは言えません。これ言えないけれども、基本的に左翼の運動って言うものはそういうものだった。イデオロギーを持った一人の人間が、大衆を動かして、やるっていうね。僕はその、やっぱり大衆の側だったから。

 

――はぁ。

 

:その、頭数だよ。社学同は今だったら、あれでしょ?まぁ、社学同行ってて、社学同とだったらね、ちゃんと話が出来るんだよ。

 

――それは良く伺うんですよね。同じ左翼でも…。

 

:そうじゃないんだよ。ようするに、社学同と、例えば革マルは話できるんだよ。社学同と、あの、狂ったような人は無理。やっぱり、そういうことで死んじゃったから、ブクロ(注:中核派のこと。中核派の本拠である前進社が池袋にあったことから。「ブクロ中核派」ともいう。)っていうのは、中核派(注:一般的に中核派と呼ばれるのは、マル学同中核派で、「革命的共産主義者同盟全国委員会」の学生組織。正式名称は「日本マルクス主義学生同盟中核派」のこと)のことなんですよ。池袋に…(笑)。

 

――あ、それで、ブクロなんですか?

 

:それがね、ブントと言うのはね、なんだっけな、組織かなんかなんですよね。もともとは。これが社学同のことなんですよ。で、ブンドブクロっていうのはよくいったわけ。だから、これブクロっていうのもドイツ語であることに違いはない訳で(笑)。一生懸命理由を調べたらね、何のことはない。池袋のことだっただよね。(注:厳密には共産主義者同盟(共産同)のこと。ときにはその学生組織である社会主義学生同盟(社学同)もブントと呼ばれた。ドイツ語のブントBUNDは同盟や連盟という意味)

 

――池袋の、あのシンダバシのビル(?)も今売り出されてるっていうね。

 

:ああ、そういう話聞いた事あるけど。ええ、資金が続かないでしょ。買う人がいないんだよね。あんなもんにさ。日学同がいて、あの頃日学同のなにか亡霊みたいな組織がいっぱいいたよ。で、日学同の通りもあったんだよ。そういう連中と革マル派の連中はちゃんと話せる。

 

――大学同士が…

 

:なぜ話せるかって言うとね、ぜんぜん違うから話せるんだよ。

 

――ああ!なるほど。

 

:だから一応意見の対立点ったって、全然違うわけだから、これは一致するところないから、自分の思想ぶつけ合うってとこでいいわけよ。「お前とは一致しない」って言うことを、はっきりお話できるわけ。ところが、あの革マル派と中核派とか、兄弟みたいなもんだから、もともと、上の組織がさ、なんて言ったけな、忘れちゃったな。マル学同!マルクス主義学生同盟ってのが二つに分裂して、中核派と革マル派に分かれたわけだから、非常に近いわけですよ。思想から何から。そんなね、食い違ってることはホント小さな小さなね。もう、「お前らがこっち来い。」向こうは、「お前らこそこっち来い」みたいなね。そんな些細なところが、どっちかがどっちかを取り込もうとするから、対立するんですよ。

 

――はぁ。

 

:恐らくは、同化し得るものだって認識があるから…

 

――近いからこそ…肉親の喧嘩みたいな。

 

:感情的にはそうでしょうね。だけど、思想的に言えば、思想に基づいた戦略とか戦術について言えば、相手の方針を少し変えさせることが出来る。という認識が両方にあるわけですよ。でね、自分のほうに変えさせようとして喧嘩してるんですよ。

 

――北方さんはどれくらいの期間、学生運動に関わってたんですか?

 

:五年くらい。

 

――五、五年間もですか?

 

:そう、だから俺五年間大学行ってたんだよ。

 

――その間に平行して小説を?

 

:小説書いてました。でも、五年くらい関わってたっていっても活動家じゃないですよ。騒ぎがあったら、くっついて出かけていくって言う(笑)。

 

 

 

北方謙三、白けと危険を求める気持ちからナンパを止め学生運動へ

 

――なんか、そういう騒ぎに出かけていく時にはヤクザの出入りみたいな感じなんでしょうか?血の滾るようなものがありますか?

 

:ないね(笑)。あのね、それを語ろうとすると、なんで行ったのかと言うのは非常に長い問題になるんだけど、白けてたの。白けてたらね、面白い場面ってのが、例えば女の子と行ったってさ、あの頃…御茶ノ水だったかな、例えば、女の子連れて行くわけ。で、ちょっと女の子誘ってね、ちょっと湯島天神まで行こうってことになってね、湯島天神まで歩いていったわけよ。まず神田の神田橋渡って、湯島聖堂があって、神田明神があって、そして、湯島天神があるのよ。それで、なんとなく散歩コースとして女の子を誘うのに非常に良さそうじゃない(笑)。湯島聖堂があって、神田明神があって、湯島天神があって(笑)。でもさ、神田明神から一周回ってる間ってさずーっとホテル街なのよ。

 

――ホテル街(笑)

 

:今は全く変わっちゃってるけどね。

 

――上手く出来てたわけですね(笑)

 

:でね、ラブホテル街なんだけどね、とにかく連れて行くわけよ。「ここ湯島聖堂だからな」とか言いながら、その辺りでもう…ね(笑)。で、神田明神、でそこからホテル街なんだけどさ、「あそこが湯島天神、あそこが湯島聖堂」なんて言いながら。で、パッて引っ張ってホテルに連れ込むんだけど「やだやだ」って言うの。でも、まあなんだかんだ言って中に入れちゃうとさ、あれは、最近僕はラブホテルなんて行かないから全然分からないんだけど、昔はお気軽に入りやすかったから必ず行ってたんだよね(笑)。そこにブラッっとこう入ってって、「そんな扉んとこいると人が来るぞ、見られるぞ」とか言って(笑)。で、そのまま部屋まで行ってしまうと、まぁそんなことをしてましてですね。真剣ではなかったんです。

 

――じゃあそっちの活動のほうに結構真剣に…。

 

:そう。でも、とりあえず、何も活動もしてないんですよ。なぜかって言うと、共闘的なものをとことん知らないから。マルクス主義がなんなのか、革命がなんなのか。ところがさ、例えば日学同の奴らに聞いたらさ、日学同の奴等なりに正論な訳ですよ。そうなんだよね。政治的な立場っていうのは、全てその信じてる人にとっては正論なのね、で、僕はとりあえずどうでもいいと思って、革マルがどうであろうと、運動がどうであろうと…。

 

――力関係みたいなものは…?

 

:うん。あの活動と言うものは実は、殴り合いをやったってのはそんな何回もうちあってるわけじゃなくて、僕はオルグ(注:政治党派や労働組合などに新人を勧誘すること)に行ったりね、カンパ活動をしたりね、ビラ配りをしたりね。それから、自分たちで討論をしたりね、ていうのが実際の活動で総括(注:原則的には、闘争や行動などのあとでおこなう、反省や情勢分析をいう)っていうのは一切なし。

 

――じゃあ、あの殴り合い専門の…。

 

:だから、殴り合い専門だからね、活動家は非常に頭にいい人たちばかり。殴り合い専門でね、あいつら、殴り合いだけ面白くても、他の活動何もやらないんじゃない。で、殴りあい専門の奴だから、活動家にしたてようとするんだよね。だから、活動家に仕立てようとするときに、例えば、僕のところに来てわわーって言ってたよ。それに対して、僕はサルトルの実存主義がそうのこうのって訳の分からないことを言って(笑)もう、「分からない」とか言ってね。それで終わりな訳ですよ。そうするとね、何をやるかって、彼らまず最初に、前に立つんですよ。でゲバルト(注:ドイツ語で暴力、あるいは権力のこと。具体的には武装をして機動隊などと対決することをいった。ゲバルトは、機動隊に対しても、民青に対しても、その他の党派に対してもおこなわれた)。メッタメタにやられる訳ですよ。で、やられても、ぼーんってぶつかりあってさ、で殴り合いやってさ、警棒で殴られたり、手で殴られたりしてさ、で、「いてぇなぁ」って言ってると、「国家権力というものがどれほど理不尽なものか分かったか」って言ってさ(笑)、そっからようするにぶん殴られて痛みを感じて、覚えさせると言うか、ようするに反警察感情が、反権力感情、反国家感情になる。

 

――ああ、この男には、肉体の痛みじゃないと分からないというように、いくら喋っても、まぁ、分からない…っていう?

 

:まぁ、実際の肉体の痛みでしか分からないと思ったのかどうかは知らないけど、でも、その当時の活動家の総意としては、正確にそれはあった。やって来て、で、急に殴られるってことは自分は正しいことを主張してると思うんだよ。安保反対とかさ、その前に、佐藤栄作と言う首相がね、ベトナム戦争やってる時に、ベトナムを訪問する。で、それを抗議に言ったらお前ら殴られた、と。したらね、大人しいはずだった警察がけしからんと、そこに、ようするに反権力思想を流し込む。それが常套手段だったね。

 

――それに対して、北方さんは全く痛みってもので、政治的なものを教える、まあ教え込むっていう気にはならなかったんですか?

 

:これはね、文章や小説でやったの。

 

――ああ、そうなんですか。痛みって言うのをそういう形で破った人間に対して、その反権力と言う気持ちになるんじゃなくて、痛みって言うものを文学的に表象しようと思ったんですか?

 

:いやいや、それ以前にね。破った人間そのものが憎らしかった。破った人間が憎らしかったわけ。機動隊全部が憎らしかったわけじゃなくて。だって、機動隊の奴なんてさ、みんな素朴な奴なわけだよ。なんか素朴な顔してさ、「田舎から出てきました」とか言ったりしてさ。ああいう奴らはね、彼らは働いてるわけでしょ。仕事で危険な立場に立ってるわけでしょ?それを俺みたいなね、仕事でもなんでもない奴らが、切り捨てられるからってするわけでしょ。それは犯罪だなと思ってね。

 

――なるほど。でも、殴られたら、カッっとなったりしませんでしたか?

 

:そりゃ、殴られる瞬間はカッとなってるよ。あいつらが殴ってくるから示しつけてやろうとかね。そんな事も考えたけど、それは反権力的な思想に基づいていてはこういった意識の変化はすることは出来なかった。

 

――ああ。で、北方さんの中では、その白けっていうのが殴られたり、殴り返すことで消化させるっていうか。その時間だけが白けを消滅させる事の出来る?

 

:そうそう。だからね、言葉で表すとすると、危険を求めてたのね。危険が面白くて使用がなかった。危険なところに立ってる時に気付いてきた。最初はね、やっぱり女の子を湯島天神に行こうと言う名目で誘って、湯島天神に着く前に何とかしてしまおうと言うスリルがあったんですよ。でも、だんだんつまんなくなってきてね。

 

――仕舞いには詰まらなくなって来た、と。

 

:そう、女ってなんて浅ましくて、なんでこんな俺の言うこと聞くんだろうって思ってね。

 

――結構もてたんですか?

 

:もてたって言うかね、女の子二人いるからとても言えないんだけどさ、うおおおってさ、デモの調子でさ。

 

――デモの調子(笑)

 

:デモの調子で(笑)、腕組んでわっしょいわっしょいってさお伊達手さ、「後ろいっぱい人来たぞ。人来たぞ。恥ずかしいな(笑)」って言ってればいい訳だから。で、女の子は、僕はその時から今もずっと思ってるんだけど、女の子だってやりたくないわけじゃない。女の子の方がむしろやりたがってたりするんだよ。でも、女の子には理由が要るんだ。とすると、その理由ってものを男のほうが作ってやる。「私はそんなつもりはなかったのに、あなたが強引に連れてくるから、こういうことになってしまっちゃったの…」って涙を二、三粒ぽろぽろって流せる理由が、女の子には必要だと思うから…

 

――そこに追いやっていくのが男の仕事だ、と。

 

:そうそうそう。だから、理由をちゃんと作ってやる。女の子に誘われてホテルにいくなんてもう、ほんと最悪だと思う(笑)

 

――(笑)

 

:だから、女の子が誘いたがってるとしても、無理矢理連れて行ったような格好にして、で、女の子が「私そんなつもりじゃなかったの」ってね、そういう台詞を吐く事によって自分を繕える訳だから。

 

――なるほど。

 

:絶対いやだったらね、恥ずかしかろうが何しようが、逃げ出すもん。人がいっぱいきたからとかね、見られて恥ずかしいとかね、外出て行かない?とか言うのはさ、俺とやることに比べたら、見られることなんて大したことじゃないじゃん。ってね。

 

――一時の恥ですね(笑)

 

:(笑)それもさ、ばーって飛び出すんだからさ、拒絶で飛び出してきたってのも一発で分かるわけだからさ。

 

――良く考えたら男のほうが恥ずかしい。

 

:恥ずかしい。だって、逃げられたこともありますよ。

 

――そうなんですか!

 

:うん。それは最後の方はないけどね、最初の頃には試行錯誤があってね、気持ちがよく読めないわけ。よく読めないから、とりあえず強くやってしまおうと思うのね。全部やって、七割。アメリカの爆撃じゃないけど、七割命中でいいじゃない。って思ってたんだよ。ところがその、だから十人やったら三人逃げられるわけでしょ?「やだぁ!」とか言ってバチンってやられてさ(笑)。

 

――(笑)

 

北:そのうちにね、絶対いやだってのと、そうでもないってのが見分けられるようになってきたの。「絶対いやだ」って言ったら、「あ、そっか。湯島天神こんなところ通っちゃいけないんだよな」とか言ってさ(笑)。下の方回ってって男坂とか女坂ってのがあるんだけど、そこを…。

 

――あ、その辺りでだいたい読めてしまうと。まぁ、そういうのより、殴り合いのほうが飽きが来ない、と。

 

北:殴り合いのほうが飽きが来ないって言うよりも、絶えず危険な状態なんですよ。その女の子さ、その後逃げたって、警察行ってさ、「強姦されそうになりました」なんていわないでしょ。法律的に言えば、この程度のことで強姦なんて成立しようがないんだからね。逃げ出しちゃえば、監禁罪にもならないわな。乱暴されそうになって逃げ出しましたって、その時怪我でもさせてたらあれだけど、腕組んでわっしょいわっしょいってやるだけだからね。

 

 

 

◆北方謙三にとって暴力とは?

 

――人に殴られるって言うのは、僕の話になっちゃうんですけど、今年の四月…五月ぐらいに、歩いてると背後から五、六人に、こう…あの、囲まれまして、北方さんが描写するような、そういう形でやられたんですよ。

 

:なんでやられたの?

 

――まぁ、原因は学校のイベントで100キロ歩くってのがあるんですよ。それで、夜中にですね…。

 

:100キロ歩く!?

 

――はい。100キロハイクというのがあるんですよ。

 

:へぇ!一日で歩くの?

 

――いや、二日掛けてですけど、一昼夜、真夜中ずっと通して。

 

:ここ(早稲田)から歩くわけ?

 

――いや、埼玉から。

 

:それなに?何の目的もなく…100キロ歩く事自体が目的なの?

 

――まぁ、それも一つのサークルが企画してするんですけど。

 

:それはどういう意味があるの?

 

――いや、まぁ、100キロ歩いてよかったな、っていう(笑)。あと、目立ちたい奴、僕らみたいな奴等が仮装して目立つ。目立ちたい。朝の四時くらい…、まぁ。地元の人から反感があったんでですよ。

 

:街を変な格好で歩くから?

 

――まぁ、そのせいかどうかは分からないんですけど、結構その地元のヤンキーとか、ああ言うのが、とりあえず野次とか、まぁ学生の方もそれに対して黙っちゃいなんで。で、僕がたまたま夜一人で歩いているところを、こう殴られたわけですね。結構長かったんですよ。もう終わるかなって時の蹴り上げとか(笑)。

 

北:(爆笑)

 

――挙句の果てに、頭つかまれて路地引きずられて、で、十人くらいに増えてるんですよ。で、転がりまわされて。あの感覚って僕初めてだったんですよ。

 

:怪我した?

 

――怪我っていうか、救急車来て、そんで僕以外にも二人重症で入院しちゃって、僕はまあ幸い一番初めだったので、無茶苦茶ではなかったんですが、あの感覚って言うのがまぁ忘れられないんですよ。やっぱり、実際、自分から殴りかかるって言うのはあまりないんですけれども、かなりの人数で殴り合いをやるって言う、すごいスリリングって言うか。

 

:どういう感じだった?

 

――僕はああいう人数でしたし突然でしたから、何が起こったのか最初分からなかったんですよ。だけど、もうその時60キロくらい歩いてたんですね。で、足がもう立たなかったんですよ。で、ひっくり返ったところを、蹴り上げられたから、転がりましたね。で、何でだか分からないけど、今自分はこれだけの人数に囲まれたんだっていう現実があって、本当になんだか分からなかった。で、その時なんか北方さんの描写が頭の中に巡って。で、なんか、終わって暫くしてとりあえず人の家に逃げたんですよ。人の家の庭に。それでばたっとひっくり返って、妙な落ち着きがあったんですよね。で、煙草を一本吸った時に、そんな描写した作家がいたなって(笑)。

 

:(笑)

 

――で、多分、それ、書いたと思うんですけど、北方さんがそういうことを学生運動時代に、実際体験したのを元にその描写っていうものが書かれたっていうのかな、と。まぁ、なんとなく、どういう作家なのかなっていうのが、そういうことをまあ経験したって言うか、それが好きだったのかっていうのが…。

 

 

 

◆北方謙三の高校時代の体験

 

:好きだったっていうよりも、やっぱりね、例えば君たちさ、高校三年の時何考えてたかって言われると、良い大学入ろうって考えてたでしょう?そのために一生懸命勉強しようと、でさ、まぁ目標としては大学受験がある。それをクリアしない限り、どうにもなんない。つまり大学受験をクリアしてから、まぁ考えること考えよう。で、まぁ生きることの意味だとかさ、そういうのは、大学入ってから考えよう、勉強してる時に考えても時間の無駄だから、そういうのは大学に入ってから、一応、志望してる大学に入ることが第一だと、ま、そういう考えを高校三年の時してたと思うのね。で、僕の場合も、高校三年の時はそういう生活してたんだよ。

 

――北方さんもそういうことしてたんですか。

 

:結構良い大学受かれるんじゃないかと思ってたんだよね。で、高校三年の時だったかな、冬だったんだけど、ずっと、なんか身体おかしかったんだよ。なんか皆三時間ぐらいしか寝ないって言うから、俺も三時間くらいでやってみようかなって思ってね、とてもじゃないけど無理で。

 

――それはやっぱり柔道で鍛えてたからできたのですか?

 

:いっしょに柔道やってた連中が、高校三年になって受験勉強始めたら、みんな辞めちゃってさ、俺だけやってたから、なんて俺は恰好良いんだ!って思ってね(笑)。で、やってたら肺に穴開いて。大学受けちゃいけないって言われて、そういわれた時、いろんなものが見えて、何だかんだいって。一回病気してしまえば終わりとかね、今考えると青臭いんだけど、で、学校行っちゃいけないって言われて、勿論結局大学受けられなくて。で、一年ぶらぶらしてて、もう、どうでもいいやって、そん時から俺は世の中に甘えが出たんだと思う。

 

――それが、まぁ初めての甘えと言うか?

 

:そこでね、崩れた。世の中に甘えるようになった。女の子だったらたいていね、あれだけど、訳もなく、肺に穴が開いてしまって、大学も受けられなくて、大変な目にあってるから。女の子なんか、どうってことないのにホテルに付き合うのなんて当たり前じゃん、って思ってね(笑)。そういう、或る種の開き直りみたいなのは出来たね。まぁ、今のは卑俗な例ですけど、もっと根本的なところで、諦めって言うのかな。諦めみたいなのがあったけどね、一年経って、また勉強でも…って思ったら病気治ってないんですよ。薬は飲んでるんだけど、それと同時に酒飲んだり、喧嘩したりしてるからね。で、女の部屋に転がり込んだりとかね(笑)。そういう生活をしてた。だから治そうって心理はあるんだけど、治らないんだよね。で、大学は入れないなって思って、このまま行ったらヤクザしかないなって思って。やっぱとりあえず大学行こうと思って、健康診断書偽造したの。偽造したら通っちゃったの(笑)。

 

――偽造して受けたんですか?

 

:うん。ま、偽造ったって、異常なし異常なしって全部書いて、保健室行って、保健室の判子ペタンて押しただけなんだけどね。で大学に入ったらね、病気の人申告しなさいって言われて「はい」って手挙げて。検査したら、また、大変だってんで、体育とか免除されるクラスに入った。そしたら、知らねぇ奴とかさ、凄い病気の奴ばかりで、三日に一回血を採るとか、そんな奴ばかりでさ、俺は見掛けは何とも無いから。でも、身体弱い事になってるから、出席しないんだけど、出席のところ全部勝手に丸付けたりして。でも、その時一つ思ったね。弱い奴同士では連帯できない。「あいつとは同じじゃねぇや」ってね。そう言う弱者の連帯ていうのはなかなか難しいってのは良く分かったね。で、その所謂浪人という時代にね、文章を書き始めてたんです。

 

 

 

◆北方謙三、漠然と作家を目指す

 

――大学に入る前じゃなくて、既にその時に始めてたんですか?

 

:ま、小説と言うかたちではないですけどね、文章を書き始めていたの。

 

――特に人に読ませるわけでもなく?

 

:そのへんはちょっと微妙なんだけどね。

 

――友達に見せたりだとか?

 

:友達なんていねぇと思ってたから。俺未だに...君たち幾つ?

 

――二十歳です。

――十九です。

 

:おれ、十八の頃ね、病気だったから、病気ってわかったら付き合ってくれないんだよね。で、あ、俺はそう言う烙印押されたんだって思ってたらね、一年たったら19になるって分かってても、18の女の子見ると、いまでも、むらむらする。

 

――(笑)

 

:18歳コンプレックス。なんか自分を物凄い満たされない状態に持っていって、もっと自分を虐めようと思うね。でも、そうやって虐めてるだけじゃ駄目なんですよ。そうやって虐めてるとね。いくら肺に穴開いてても、俺は生きてるんだってね。だから、俺はどうにかして、その俺自身を表現したいって思ってね、で、どうして文章だったかは良く分からないんだけど、なんかこう、焦りが見えてたのかもしれないけど。

 

――それまでは、例えば中学の時とかは、文章を書くのが得意で、書くのが好きだとか?

 

:僕ね、発表したのはいっぱいあるんですよ。友達脅かして、発表させたりね。

 

――子供の時から、そういう感情は?

 

:それはないね。高校の時、作文の時間とかは、三行くらい書いたら、「先生原稿用紙なくしちゃいました」とか言う奴もいてね。もう、四行目に書く事が無いんだよ。でも、俺はそん時、一時間で四枚も書いたんだよ。そしたらそいつがね、「お前は将来文章を書く仕事したらいいんじゃないか」ってね、で、「今ちょっと書いてるんだ」って言ってね。そんな感じ。

 

――高校生の時に?

 

:うん。で、近くに東洋英和って学校があってね、その子達をナンパしに行くんだけどね、その頃、東洋英和の女の子と友達になってね、その女の子が文学少女だったの。で、そこには作文上手い奴がいっぱいいるんだけどね、でも、そんなことそいつは分からないから、そんな事言うんだよね。で、その女の子にね、「今長篇書いてる」って言うの(笑)。じゃぁ、「是非みたいわ」って言うの。で、書いて、学校の奴に見せるんだけど、、そいつ、三枚くらいしか読めないのね、で、長篇って言っても70枚くらいなんだけどね、そいつにすりゃ、大長編なんだよ。

 

――じゃあ、その肺結核の時代は、書くという事は夢にも思わない感じだったんでしょうか?

 

:うん。でも、その頃は本も読んでたけど、柔道で首しめて落とす方が面白かったから。落ちるとね、おしっことかもらして面白いんだよ。ま、でも、『白鯨』すらハクゲって読んでたような頃だからね。で、周りの奴等も、「お前文学なんて読んでるの?」なんて言われて。「おう、俺は読んでる!」なんて言ってね(笑)。今からすりゃ、俺の職業自体を冒涜するような行為なんだけど、自分で買うのも勿体無いってね、図書館で借りて読んでね。たまに、面白いのがあるんだ。

 

――じゃあ、やっぱり、肺結核のような体験がなかったら、今頃は小説家になってなかった可能性が?

 

:なってなかったと思いますよ。まず、理科系に行こうと思ってたし。親父が、男なら世の中の役に立つ理科系に行け。そうでなく文科系にいくなら、経済とかにいけって行ってたからね。世の中の役に立つ仕事に就け、と。でも、いけないという事になっちゃったから、どうでもいいやってね。で、俺の曽祖父が東京専門学校でね、だから俺の家系は早稲田に行けみたいなこと言われてね、で、流れに乗れみたいな事言われて、絶対行きたくネェって(笑)。あんなとこ誰が行くかって。でも、国立行く時はレントゲン写真とらなきゃいけないから無理みたいな。で、慶應には恨みがあって行きたくなかったし。

 

――北方さん、途中まではエリート街道を歩いてたんですね。

 

:そうなんだよ。僕の学年は東大10何人いってね。一橋、東工大も結構行ったんだよ。

 

――結構エリート意識のようなものはあったんですか?

 

:ないね。俺より頭良い奴いっぱいいたから(笑)。そいつらは、頭の次元が違うなって。でも、勉強する環境にいたからね。だから、場合によっては早稲田の理工学部は入れるかもしれないってね。ま、そんな可能性はあったんだけどね。でも、一年経ったらそんな感じじゃなかったね。それに童貞じゃなかったから、女遊びするのは簡単だったんだよね。で、結局、早稲田嫌、慶應嫌って言ってたら、中央しかないんだよね。で、「中央の法行きます」って親父に言ったら、「いいぞ」って言われて、あそこは弁護士がいっぱいいるからってね。で、「はい、僕は弁護士になります」みたいなね。

  でも、入ったら、皆司法試験受けるみたいな状況なっててね、その為のサークルあるんだけど、入るために試験があってね、友達に誘われて受けるんだけど、それ落ちちゃってね、こんなとこ入ってやるかって、やめた。でもね、そう言う環境いるから思ったのかもしれないけど、結局、あれは新しいものを見つけたり創ったりするような勉強ではないなって思ってね、で、四年後のオリンピックでようと思って、毎日グラウンド毎日走ってた。でも、やめた。

 

 

 

◆作家、北方謙三のスタンス

 

――その後、純文学時代には10年間くらい芽が出なかったと言いますが?

 

:あの頃はすごい殺伐としててね。新宿とか歩いてても皆避けて歩いてたからね。で。酔っ払って書いた作品がちょっと評価されてね。で、三作目の作品が賞を獲ったんだよ。で、結構話題になって、それからどうなったのか分からないんだけど、とにかく突っ走ろうって思って、十年を取り戻そうって思ってわーって書いたんだよね。

 

――北方さんが原稿を物凄い量を書くのは、矢張りそういうのが影響してんでしょうか?

 

:そんなに多くないでしょう?二ヶ月にハードカバー一冊くらいですから。赤川さんなんて、一ヶ月に二冊くらいでしょ(笑)。だから、そんなに量産してるってイメージは無いですけどね。ノベルス作家に比較すると。僕、一年に八ヶ月しか書かなくて、あとの四ヶ月は海外に行ってるの。

 

――一日何枚くらい書くんですか?

 

:書く日やその内容にもよるけどね。でも、書く日には一日百枚くらい書くかな。

 

――その日の調子によるんでしょうか?

 

:基本的には、最終的に追い詰められるからね。だから、僕は書き下ろしが辛いんですよ。雑誌の連載だったら、遅れるといろんな人に迷惑がかかるから。でも、書き下ろしは誰にも迷惑が掛からないから、どうしても、酒を飲んじゃうの(笑)。だから、できるだけ、毎日書こうって思ってね。それが出来なくなったら、もう書き下ろしは止めようと心に決めてますよ。で、いつまでに書くって決めて、その一週間前にもなると、二時間寝ては書いて、どうしようもなく眠くなったらまた二時間位書いてね。

 

――気が遠くなるような感じはないですか?

 

:要するに、原稿の枚数を書くということは、申し訳ないけど、良く分からないんだけど、赤川さんなんか、年間十億稼いでるのね。そうすると、仕事の量を、十分の一に減らしても、税金を持ってかれる事を考えると。そんなに収入は変わらないんだよ。だから、物を書くという事は、そう考えると、金のために書いてるってことじゃないんですよね。じゃ、何のために書いてるかって言うと、分からないんですよ。恐らく僕は、僕の友人達が分析する事によると、冷や飯時代を取り戻す為(笑)。十年間の冷や飯時代を取り戻してね、美味しいものを食べたい。美味しい物を食べるためには、たくさんの人に読んで貰わないといけない。そのために、お前は頑張ってるんだって、周りの人たちは言うんだけどね。僕自身はどうしてこれだけの量を自分が書くのかはわからないんだよね。でも、まだ新しいものに挑戦したいて気持ちはありまして。このままハードボイルドを十年間書き続けると、その道の大家になれたと思うんだよね。だけど、歴史小説も書いてみたいとそしたら歴史の勉強もしないといけないしね。だから、なんでそんなことしてるのか自分でも分からない。

 

――矢張り、これからは歴史小説の方をしていきたいと?

 

:でも、年間一本くらいですよね。僕は歴史小説の方に転向しようと思って書いたんじゃなくて。自分の作品系列のなかに歴史小説を入れようと思って書いたんですよ。

 

――その舞台を借りて、ハードボイルドを書こうと?

 

:だから、男が描く夢と挫折をテーマに採れば、それは現代小説のテーマなんですよね。ところが、歴史小説だと、そのスケールとかダイナミズムとかみたいなのに関してはそれははるかに大きいんですよ。もっと雄大な構想の下に小説を書けるんじゃないかって思ってね、で、小説書いてるんですね。

 

――その準備にに五年くらい? 最初から知ってて??

 

:色んな歴史資料とか。そのあとさ、古文書とかも読む訳ですよ。そうしたら、五年くらい掛かった。でもね、それでも、やろうと思ったし、それに、編集者とか出版社ってのは僕が書こうとしてくれることに協力してくれます。でも、五年後十年後に関しては誰も考えてくれない。そうでしょ?彼らはサラリーマンで人事異動とかあるわけだから。

 

――最初から新しいものに挑戦って思った時、歴史だなって思ったんですか?それとも、試行錯誤のうちに、あ、歴史小説だなって思ったんですか?

 

:ハードボイルドっていうのは現代のものなんですよね。で、そんなに現実から飛躍したものではないんですよ。殴られた痛みとか言うのは現実の痛みでしょ?大藪さんはぼくは非常に優れた作家だと思うんです。でもね、あれはハードボイルドじゃない。そう言われたりするけど、彼が書くのは大藪春彦の世界。それは非常に現実世界から遊離した世界にあるんですよ。その世界の中で、きちんとしたリアリティーがある。ところが、僕が目指したのは、現実に立脚したリアリティーが必要だったんですよ。例えば、拳銃を例にとっても、一つ手に入れるまでに相当な苦労があるわけですよ。その苦労も僕は書くのです。そういうようなリアリティーを目指して書いてきたんです。そうするとね。現代の社会のなかで書いていくと、どっかで閉塞してくるんですよ。その時にどうするかと言うと、内面に向かうしかない。その瞬間から、僕が今まで歩んできた、純文学の世界になるんです。

 

――それじゃ、まずいと。

 

:それは違うな、と。それは自分が一回負けてきた世界じゃないか、と。言う思いがあって。それに、その世界は自分が指標してきた娯楽の世界とは違うな、と。で、或る時、男のあるべき姿を書こうとしたときに、小説は対して意味がないんじゃ?って思うようになったんですね。意味があるもんだって思うから、おれは純文学の方に行ってしまったんだ、と。意味が無いというのは、人生において考えると、御飯ではなく、お酒だと。お酒であるべきだ、と。おそらくその程度のものだ、と。気持ちが良くてよかったな、と。あってもなくてもいいけど、人間が生きる事には。でも、酒があってよかったなって思うわけでしょ?そう言う価値が、自分の小説にはあればいいと、思うようになったんですね。そういうことを目指した時に、歴史のなかには僕の書きたいものはたくさんあるだろう、と。で、本一冊、概説みたいなものでいいやって思って、編集者に言ったら、辞書みたいなの20冊くらい持ってきて、これが概説です、と(笑)。今から思えば、それでも少ないし、トラックいっぱいくらいいるんだなって思いますけどね。資料的には今までの十倍から二十倍くらいの量がある。そう言う形になって来たんですね。

 

――北方さんのハードボイルド小説の中に出てくる男にはモデルとかあるんですか?

 

:それはね、僕の願望。ありたい姿なんですよね。男の像ということになると、僕はおそらく非常に女々しいんですよ。それに、暗い。これ、ハードボイルドを書くようになって、純文学の時と随分変わったねねって言われるんだけど、ねじれてたのが一回転して素直になっちゃった。そう言う感じだと思う。常に、こういう男でありたいなってのがあるわけですよ。それを小説中の人にやらせる。

 

――柴田錬三郎さんが歴史小説をお書きになりますが、ハードボイルド的だという考え方もあると思いまして、柴田氏についてはどう思いますか?

 

:柴田さんとは面識は無いんですよ。でもね、柴田さんに可愛がられてた編集者が、彼に万年筆をもらって。で、柴田さんが死んじゃって形見になったらしいんですよ。、で、その人は大事に持ってたんですけど、「生きた万年筆を文章を書かない僕が持っててもしかたがない」、とその編集者が思ったらしく、その時僕のことが頭に浮かんで、くれたんですよ。その時丁度、僕は歴史小説を書こうと思ってた時だったから嬉しかったね。

 

――それは何か縁を感じますね。

 

 

 

◆北方謙三が若者に思うこと

 

――何かの本を読んでるときに、北方さんが、「俺は今生きている!」って書いてたんですが――。

 

:おれもう軟弱になっちゃったからね、いつでも、生きてるって思っちゃう。

 

――あ、時間の方が三時までっていう事なんでえすけど――?

 

:うん。でも、まだ二分くらいあるよ。

 

――確か、ホットドッグプレスだった思うんですけど、北方さんが質問に答えるってのがあって。もういい加減にしてくれって言ってたんですが、このインタビュー中も北方さんはそう思ってるんじゃないかってずっと思ってたんですが…。

 

:うん。それは思ってる。「今の若い奴等ってどうしてこんなに駄目なんだろう?」ってね。でもね、結局駄目な奴は駄目でいいから。俺もランク付けしてやってさ。でも、今の若い奴って言うのは、傷付く事が恐いみたいだね。自分が傷付く事が恐いみたいで、あるものを壊さないのなら、そのままの状態で少しひいたところで、我慢してても、その状態で生きていくしかない。女の子の問題でも思ったんだけどさ、なんかこう友情関係みたいなのがあって、それを一歩進めて、肉体関係にすると、その女の子に振られるかもしれないとな、と。そう思うと、その関係を崩さないんだよな。結局ね、若い頃って複雑な生き方は出来ないし、しちゃいけないんですよね。単純明快に生きてると、自分が傷付いた時だって分かるし、傷付く必要だってあると思うんだよね。だから、僕は生き方をどうしろってのはあまり言わないんですよ。俺はこういう風に生きてきたよくらいしかね。

 

――それくらいしか、背景とかが分からないんじゃなくて、そのように答えるくらいしか出来ないっというのはあるんじゃないかってのは思いますね。そういう悩み事があるんなら、一応聞いて、アドバイスをではなく聞いてやる事しかできないといった。

 

:悩み事って言うのはさ、所詮悩み事であって、悩むという行為は一人ですることなんだよね。

 

――矢張り、最後は自分で――

 

:政治問題を抱えてるわけじゃないんだから。

 

――見る前に飛べみたいな発想があるんじゃないかってのが、ホットドッグプレス読んでても感じるんですが。

 

:俺は本当にそうだね。でも、その気持ちは多少なりとも大切だとは思いますね。

 

――今日は本当にありがとうございました。