三塚博

 

プロフィール

三塚 博(衆議院議員、自民党所属)

みつづかひろし。1927-2004年。東京高等獣医学校(現日本大学生物資源科学部)を経て早稲田大学第一法学部へ学士入学。在学中は雄弁会に所属。運輸大臣、自民党幹事長など数々のポストを歴任。

 

 

(以下、会見録。年月日不明)

 

 

 

 今日は、食べていこうと思えば食べていける社会だし、生きていこうと思えば、これまた生きてもゆける社会だからね。何も社長にならんでもソーリ大臣にならんでもだ、人生観に基づいて忠実に生きていくこと。これもまさに人生でありましてね、だから、それでもいいとは思うんですが、まさに政治というのは権力でしてね。権力というものを認めつつ議会政治の中で、国家あるいは社会というものに視点をおいた行動をしていかなくてはならないし、それはまた、皆が関心を持って(自分が政治家になるならないは別として)そのことに対する注文、批判を互いに行っていくという流れの中で全体の構成がうまくいくのだと私は思います。

 

 だから、あなた(石坂君)の素直な感じは我が国だけでなく欧米先進国も大体そのような傾向になってきました。“ハングリー”というのはすべての原点というものでありましてね。努力の精神、ハングリー精神を持ってそれも満ち足りた中でハングリー精神というわけにはいかんし、そうすればやはり“人生というのは何か”ということを真剣に考え抜くことによって人それぞれの道を選んで、選んだ以上は思いっきりやってみる。挫折し、それを乗り越え方向転換というのもあるでしょうが、“まずやってみる”ということでいいんじゃないか。特に学生時代というのはね、就職のことを考えると“三年になるとまず勉強して優をいっぱい取らねばだめだ”というのもあるけど、まあ学生時代というのはそうゆうのにとらわれず、まさに自由闊達に生きる時代だし、やるべきだと思う。

 

 そのことで終身雇用制という問題もあるけれども、アメリカのように能力によって、どんどんやれる時代が来ると思います。

 

 そうゆうことで最近は、会社側ももちろん成績はみるけれど何も優秀でなくちゃあ採らない。その人の人間性、やる気といったものに重点を置いた採用というものをここ四年ぐらい(去年、今年なんちゅうのは低成長になってるからね)各一流会社はその方向に向かっているね。ま、あまり気にせんでさ。しかし、悩み考えるちゅーのはいいことだからね。私自身、“今これでいいんだろうか”とかんがえることは何度もあるわ。“こんなことをやっていてわだな、はたしていいんだろうか”とね。

 

・・・電話・・・・・

 

 私も今、政調の筆頭、政策の責任者ですし、法律っちゅうもは、憲法の条項に照らして、いささかも違背があってはならんわけだし、これが最高裁において憲法判決をうけるようなものは政権党の所属議員として、そんな者は出すはずがない---ですから各党もね、じゃあなくとも共産党も基本的には“ここに合いますといい法律だ!”とこう言うんだよ。組織政党として自民党と対立しながらもね、党勢拡大をしなくちゃならないという建前論でいつもね。行使権を言っている。でももうそう言う時代じゃあないかもしれないな。これだけハイテクの時代を迎えていくわけですから。イデオロギーではないは。いかにバランスをとりいかに物事をつくっていくかと、こうゆう時代にきているなあ。

 

 

 

(本間)マスコミの自由とか、報道の自由について伺いたいんですが、最近話題になっています三浦某氏のロス疑惑、あと、これは田中裁判にもある程度関係してると思うのですが、要するにまだ裁判に到ってない人物、また経過中で結果が出ていない事柄に対し、マスコミがある程度、つっぱしってしまった書き方をして結びの役が週刊誌ですけれども、ある程度マスコミ内でもその感覚(三浦事件の取り上げ方の是非)を問われていますが、その辺をどのようにお考えですか。

 

(三塚)やはり罪刑法定主義でしてね。憲法の基本方針は。そういう意味でね商業新聞、商業週刊誌とにかく売れればいいと。(少女雑誌と教育にしてみても)それで突っ走る。もう決め付けて突っ走る。―――これはいかんですね。それは編集者、ジャーナリストの良識の問題だわ。彼らにはきちんとしてもらわなければな。綱紀の校正者であり、悪に対しては徹底的にペンを振るう。しかし、そこにおいては正に真に真実であるかの明確な証拠付けがないままにそうであるだろうと追いかけていくということ事態が問題だし。僕は三浦報道など一度も読んだことがないよ。(最初は成り行きをみましたけど)あんなに騒ぎ立てるのはどうかなと思うな。ただね、私ども政治をやっておりますが、政治は権力ですからそういう意味の批判はあえて受け入れる。だから、そういう意味のマスコミ批判は私はしたことがないね。

 社会部、社会面の取り扱いはロス疑惑ではなく“全てそういう前提でキャンペーンをはる”これね、“調査報道というらしいね”調査したやつを報道するんだ。だから何もマスコミの自由、権限を逸脱しちゃいないんだ。ところが調査をして報道するにしてもその書き方は極悪非道のやつであってね。だから、ああいうのは社会的に抹殺されるわ、ああいうやり方は。こりゃいかんね。こういうのは言論の自由ではないわ。言論の自由というのはそれをやる方が一つの基本プリンシプルに立った形でやっていかなくちゃならんよ。

 

(石坂)私どもは、今、大学生ですけれども、自分の周りを見渡してみても、例えば“よーし、俺は政治家になるぞ”とか“早稲田の雄弁会に入るぞ”とかそれで一直線に突っ走るといった人間がとても少ないように思うのです。今、自分を振り返ってみてもだらだら時間を過ごすことが多くて、決して自分が大学に入ってあれをやろうこれをやろうと思っていたことに対し、その通り自分が行動しているかといえばそうではないのです。

 そこで、どうして現在の大学生はそういう人間が多いのかと自分をはじめ疑問に思っているのですけど、その辺を先生の教育に対する考え方と絡めてお話いただきたいのですが。

 

(三塚)やー、それは難しいな。個々人の人生観もあるしおかれている状況もあるし。率直に言いますと、“正義に対する信頼感がないこと”がひとつの根底にあると思います。相対的に見て自分は“政治家という立場の中で社会活動を進めて行きたい”と思う環境を我々も心がけながらやっていかなければ、と思っているのだけれども。

 それともう一つはこれだけ多様な社会になってくると、それだけ多様な価値観が生まれてくるし、違ってくる。それと、“政治がなくてもそのまま社会は進んでいくであろう”と思いがちです。私自身も学生時代そう思ったこともありますしね。ただ、私が卒業したのは戦後の混乱期(昭和26年卒ですけれども)やや落ち着きを取り戻したころで、色々運動をやったりしていましたので、そういう意味では“自分はこれでいいのか”とストレートに向かってきた点で幸せなのかと思います。

 しかし、それはその時は更に、まあこうぶんする、検討するということで前に進むようにしていますがね。まあ、今あなた(石坂)が言われたやつは、学生の時代だけでなく社会に出ても絶えず一生つきまとう問題だわ。また、それがあるからやはり、全然そういうんじゃ駄目だ。

 

(村山)時間がそろそろ。

 

(三塚)じゃあ、また総裁選も終わって十一月に入ったら暇でもできるでしょうから、その時にまたきなさい。

 

(村山)では色紙をお願いします。

 

(三塚)字は下手なんだよ。

 

    “一歩万歩”と記す

 

(本間)ちなみに最近何に一番驚かされましたか。

 

(三塚)(色紙を書きながら) 例の森永・グリコ事件にはビックリするなあ。日本の犯罪形態もここまで変わってきたのかなと、実感するね。あれは悪質極まりないね。無差別だよ。犯罪にも犯罪倫理があるといえばおかしいけど(一同爆笑)あそこまでいっちゃいけないなあ。

 まだ、自民党本部をバーンとやってるうちはいいんよ。ちゃんとやり方を見るとさ、六時ごろまで議員さんいたんだろう。だからあの辺にいればちょうど会議室まで今頃はいねぇだろうと。ボンやっても殺すようなことはしねぇわな。こんなこといちゃいけねぇんだけどさ。(爆笑)

 

(石坂)“一歩万歩”っちゅうのはどういう意味なんですか。

 

(三塚)“一番目をとろう”と、目的に向かって一歩ずついこうということでね、これ私の人生観なんですよ。“積み上げ”だと思うんです。あせらずね、誰でもあせるんだよ。

 

(村山)(黙って色紙をもう一枚出す)

 

(三塚)アッハッハッ!もう一枚かい。

    (笑いながら)太平さんの好きな言葉は一つでね、

     私も好きだ---- “○ ○ ○ ○”

 

(増田)早稲田大学についてどう思いますか。

 

(三塚)今、聞いててね、また青春時代を思い出してさ。第二の東大みたいな感じはいかんと思ってるんだよ。これは絶対いかんと思ってるんだよ。早稲田ちゅうのはな、ある意味でハングリーであり、ある意味で勇敢でなければいかんよ。

 

(平木)第二の東大ということはつまり保守化してハングリー精神がなくなってきているということですか

 

(三塚)そうだね。早稲田大学ちゅーのは、大隈さんが創立したころはそういう時代。しかし、あの時代と今もあんまり変わらないような気がするよ。“絶えず、社会の不安の中でそれぞれの立場は違っても、改革のためにやりぬく”ということがないといかんし。教授もこのごろは東大に負けんようにがんばるべということだけで、俺は今も渡部恒三や森と言うんだけど、今だったらとっても入ってこねーなって、浪人したって駄目だったなーて、こー言ってんだよ。だから成績でとるのは90%、後の10%は高校のときのたくましさでとっていくと。これは(この学生)はなんとしても早稲田ちゅうのをとらんと。そりゃー、全然バカだと困るけど、ある程度基本的なことさえ分かてりゃー、大学は四年あるから。

 前の学長もその前の学長もこれは絶えず言い続けてきた。私学の良さはそこにあるってね。(一同うなずく)そりゃオープンにして堂々とやれってね。こそこそやるから商学部みたいになる。森も商学部、藤波も商学部だ。んでまいちゃった。こーしてな。(両手で頭を抱えるしぐさ)あれもね(商入試漏えい)早稲田だから出てきたんだよ。そこが早稲田のよさだ。慶応やよその私立だと出てこないよ。わが母校をいいなと思うよ。

 

(増田)石橋港山内閣が出来たときに浅沼稲次郎社会党委員長が弁当もってかけつけたと(三塚氏いいなあー)、その時“早稲田民族主義に国境はない”と言ったといわれますが今でも三塚先生はそう思われますか。

 

(三塚)私はまさにそうだ。俺、尊敬するのは緒方竹虎、現代では港山先生もそうだが野党では浅沼稲次郎だ。俺、学生の頃は彼を愛したしまさに故郷はないね。今ね、早稲田出身の政治家達は共産党も含めて故郷はないと----- お互いそれぞれの立場でやろうとね。オープンに話し合おうと。しかし、党のいろんな制約があるがそれはいいと。しかし、いいことはお互い、三年かかろうと五年かかろうとやろうと。といってんだよ。

 

(村山)本日は本当にありがとうございました。

 

 

 

編集後記

天皇問題では、和田(社1)のひざをたたき、お互いの目を見つめ

また、早稲田民族主義に涙し、益田(二文1)に合槌を打つ

最後に私(石坂)は三年生に間違われたりしたが本当に会見に参加してよかった。

石塚さん、増田の両名に心より感謝したい。

文書 石坂仁