森達也
プロフィール
日本のドキュメンタリー映画監督、テレビドキュメンタリーディレクター、ノンフィクション作家。明治大学特任教授。広島県出身、立教大学法学部卒、大学では映画サークルに所属。1986年テレビ番組制作会社に就職。後にフリーになる。「ミゼットプロレス伝説~小さな巨人たち~」でデビュー。主なドキュメンタリーは「職業欄はエスパー」「1999年よだかの星」「放送禁止歌」。映画は「A」(1997)「A2」(2001)「FAKE 」(2016)。
以下、会見録。
(2016年7月15日)
―早速ですが「FAKE」が公開されてから、反響はどうですか?
大きいですね。「A」とか「A2」に比べたら全然反響は大きいです。
―これほどの反響は公開前から予想していましたか?
全然。だってこれ映画として成立しないんじゃないかって。
ていうか編集してると何が面白いかわかんなくなってくる。何十回、いや百回以上同じ映像繰り返し見てるからね。
編集のアシスタントが今回ついたんだけど、二人で話しながら「この映画って面白いの?」とか言って。
―劇場では笑いもおきてましたがその辺も予想外みたいな感じですか?
うん。豆乳のシーンとか、笑いのつもりじゃなかったんだけど。ケーキのシーンとかもね。
…なくはない、というかね、そういう狙いもあったから。でも豆乳とかケーキとかは予想してなかったから特にびっくり。
―オウム真理教を扱った作品より反響が大きいような印象を受けます
オウムはね、多くの人が殺害されているし、社会の嫌悪感や忌避感みたいなものは佐村河内問題よりもずっとありますから。
そんな1500円払ってわざわざオウムのドキュメンタリーなんか観ても…って人もいるだろうし、それにテレビでさんざんやってるからねオウムのドキュメンタリーは。
テレビとは全く違うんだ、というのを言いたかったんだけど、なかなか届かなかった。それは今も悔しいです。
―森さんはいままでオウム真理教をはじめとしてタブーな題材を取り上げてきたと思うのですが、今回の佐村河内さんは今までの題材の中でもポップというか庶民的な印象を受けました。今後題材の方向性に変化などはあるのでしょうか?
たくさんつくってるとそういうのもあるかもしれないけど。
とにかく15年に1本のペースです。次をいつ作るかもわからない。
―次回作についてしたいなとお聞きしたいと思うのですが、森さんは過去のインタビューで、下山事件や今上天皇について撮るつもりだったときいています。それはどういった内容でどこまで話が進んでいたんですか?
『下山事件』は本も出ているから、それを読んでもらえれば経緯はわかります。最初はテレビでオンエアする予定が映画になって、その後に雑誌の掲載の予定がいろいろあって・・・。
天皇ドキュメントは、そもそもフジテレビでオンエアする予定で始まった企画だったんです。「ノンフィックス」っていう深夜のドキュメンタリーの番組があって、いまも月に1回くらいやってるんじゃないかな、ぼくもそこで放送禁止歌とかエスパーのドキュメンタリーとかつくってたりしたり、是枝宏和さんもそうなんですよ、彼もノンフィックスで盛んにやっていた。そのノンフィックスの20周年かなんかで、制作者たちでシリーズのスペシャルをやりませんか、ってフジテレビからオファーがきて。みんなでいろいろ企画出したりして、是枝さんか誰かは事件の裏を検証する特集をやろうとかなんとかいってね。
で、結局憲法特集をやろうと、誰かがいいだしてね。僕だったかもしれないけれど、とにかくそれをやることになったんですよ。
あれはちょうど第一次安倍政権が発足した時期だったかな、多分数年後には憲法改正が大きな問題になるとは思っていました。それに条項で分ければシリーズ化もできる。だから全員で一致しました。ならば憲法何条やるかってきいたら、まず是枝さんが手あげて僕は9条がやりたいって。まあそうくるだろうなって全員が納得した。他には、例えばドキュメンタリージャパンは21条、表現の自由とかね、じゃテレコムスタッフは96条 国民審査。それで森はなにやるんだってなって、待ってました僕は1条やりますって言いました。
―1条ですか?「天皇は象徴である」ですか
天皇制です。僕はそれが狙いだったからさ。だって天皇のドキュメンタリーを撮りたいってフジテレビに出したって絶対企画が通るはずないし、でも憲法1条のドキュメンタリーやりますっていったら通るんじゃないかなって思ったら案の定通って、撮ることになったんです。
内容は、僕が天皇に会うまでの、メタ的な構造を持つドキュメンタリーです。たとえば天皇だって絶対メールやってるだろうから「天皇のメルアド入手計画」とかね。あと奉仕っていって皇居とかの清掃ボランティアがあるんだけど、そこに紛れ込んでみようかなとか。
でもそんな感じでいこうって感じで撮影始めたくらいの頃かな、フジテレビの偉い人が僕に会いたいっていうから会って、そしたら「森くん、これ天皇に会えないからやめたほうがいいよ」って言うわけ。でも僕としては、会えないなら会えないでいい、と。一国民が天皇に会って話したいと思ったとき、どんなことが起きるのか、その過程を撮りたいという趣旨ですって説明したけれど、「これは会えないから無理です」ってそれしか言わないわけ。
要は、「止めてくれ」ってことだなってバカでも気づきます。ならばこれは、もう無理だなということでこの話は諦めました。
―それを映画という形で発表するという考えはなかったんですか?
映画じゃ意味ないんです。テレビという環境の中、天皇のドキュメンタリーを撮るってことに意味があるんです。
だからそのフジテレビの偉い人にいわれてるときもカメラは回してるんですよ。了解をとって。それも使ってしまおうと考えていました。
―ということはその撮ってる段階で展開を仕組まれてるとういうか、頭の中にシナリオあったりするんですか?
うん、頭の中で想定してたシーンはちょっとあって。ラストはなんやかんやあって僕が天皇にあえる、と。で、天皇のいるお部屋にコンコンってノックして、天皇が扉を開ける。で僕が1つだけ質問するんです。「いま、お辛いことないですか?」って。どう答えてもらえるかはわからないけれど。
―テーマとか題材はどうやって決められてるんですか?
ケースバイケースです。例えば「放送禁止歌」とっていう作品は、僕らの高校生学生時代はラジオの深夜放送が今のスマホみたいな存在で、受験勉強とかもラジオ聞きながらやってました、そしたらパーソナリティーとかが普通に「この曲は明日から放送禁止になります」とか言ってて、国家権力ゆるすまじ、とかそういうこと思ってたわけ、ラジオ聞きながら。
―今じゃ考えられないですよね
ラジオの存在が?
―いえ。放送禁止歌が。
昔は反体制的な歌が多かったから。今もないことはないんだけど。
とにかく、ずっとそれが頭にあったから、放送禁止歌についてのドキュメンタリー撮ろうって思いつきました。
でも実際に調べてみたら国家権力でもなんでもなかったというストーリーです。
「職業欄はエスパー」はずっと心霊とか超能力とか雪男とか、そういうの好きだったからね。
だから全部たいしてそういう問題意識があってっていうわけではなかったかな。
―ではあえてタブーにいってるというわけではないんですね
僕の実感としては、撮ってみたら結果としてタブーといわれるものに抵触してたって感じです。同業の人に「お前よくあんなの撮ったね、部落差別の問題なんて」とか言われるんだけど、「え?部落ってタブーなんだ」って感じで。
だから問題意識とかそういうのは全然ないです。
―森さんの著作を拝見したりお話を聞いてると、多数派に流されないそういった視点をすごく自然体にやってらっしゃるんだな、という印象を受けます。その点についてご自分ではどういう分析ですか?
僕はトロいんです。それに尽きます。
子供の頃からそうなんだけど。遠足とかでみんなでどこどこいきますよーって時もいつのまにか一人だけ迷ってるみたいなことはよくありました。
―周りに合わせようという意識はあるんですか?
あるんですよ。ただ気づいたら周りに誰もいなくなってる。
反射神経が鈍いんです。鈍いから触っちゃいけないものに触っちゃたりとか、でも僕の経験則で言えば、意外と大丈夫だったりする。
―役者を目指してたというのは本当ですか?
うん。大学時代映画サークルに入ってた。脚本書いたり撮ったりしていたけれど、問題は役者がいないことです。演劇部の知り合いに声をかけたりしていたけれど、それも限界がある。だからサークル内でまかなうわけです。次のおまえの映画に出るから、今回はこれに出てくれ、台詞は少ないから、みたいな感じで。僕は演劇部にも入っていたので、いつのまにか出ることが多くなって、黒沢清とか石井岳龍とか、あのへんみんな同世代で、同時期にみんな映画撮ってったわけ。
僕の上の世代って学生運動とかやってて、僕ら世代って学生運動ほぼ消えちゃったんですよ。高校の時にいろいろ刺激されちゃってるから。でも大学入った時には運動終わっちゃっててね、この振り上げた拳をどこにおろそうかってことで、映画を撮りはじめるようになったような気がします。
―それで映画にのめりこんで役者をやりたいと思うようになったと?
うーん。撮られることが多かったからね、それで芝居面白いなって。
サークルだけでは物足りなくなって、新劇の劇団に通ってたりしたんだけど、通い始めて何年か経ったあと「あ、俺って演技力ないんだ」って気づいて。遅いよねえ。もう大学はとっくに卒業して二十代後半だったし。どうしようと思って、今さらしょうがないからサラリーマンやって、でもやっぱりダメで。
でも、サラリーマンやる少し前にある映画の主役の話が来てて、監督は林海象。その気になって役作りしてるときぐらいに病気で入院しちゃって、で代わりに佐野史郎が出演して。当時佐野史郎も全然売れない役者だったけど、一躍脚光を浴びて、そこで自分は演技力もなければ運もないんだなって気づいて。
―演じるという経験が、作品に影響したりもしてますか?
そう分析してくれる人は多いね。
まあ自分ではあまり意識してないけどそういうところはあるかもね。
―森さんの好きな映画を教えてください
「バーディ」って映画があるんですけど。アランパーカーの。ベストワンは「ミッドナイトエクスプレス」かな。昨日見た「マネーモンスター」もめちゃくちゃ面白かった。『アバター』はここ数年のベスト。あとは黒木和雄さんの「竜馬暗殺」。神代辰巳監督の『アフリカの光』。田中登さんの『㊙色情めす市場』も大好きな一本です。きっとみんな知らないだろうけれど。
―映像作品を作らなかった15年間、主な活動は何をなさっていたんですか?
執筆活動です。9割執筆。
―森さんとしては映像と執筆、どちらの方が好きだとかやっていきたいというのはありますか?
うーん。難しいなあ…
好き嫌いでいったら映像かな。やっぱりもともと好きだったからね。文章も大好きですけど。
でも収入としては執筆です。ドキュメンタリーはまずペイできない。黒字にはならない。
基本赤字ですね、今回の「FAKE」もそういった意味では全然。
―ドキュメンタリー撮るのは結構お金がかかるんですか?
今はかからない。要はデジタルになったから、フィルムの時代と比べるとかからない。
だからそういった意味でなんとかやっていけてるって感じかな。
―大学通っていた頃はどういった勉強をされていたんですか?
法学部だったけどほとんど授業行かなかった。サークルばっかり。
就活のこととかほとんど考えてなかった。
サークル。麻雀。お酒。ガールフレンド。音楽。
―大学時代どんな女の子と付き合ってたんですか?
そんなこと聞いてどうするのですか(笑)。何人かいるけど、普通の当時ハマトラっていわれてるファッションの子とか、演劇やってる子とかもいたし。
―どうやって落としたとかあれば教えてほしいです(笑)。
誰だって一緒でしょ。みんなでお酒飲んでるうちになんとなく…。
―そういう時は“100パーセント瞬間的に信頼“してたっていう?
そういうものじゃない?そうでしょ?持続はしないけど、その瞬間、ある瞬間には、あたしどうなってもいいわってのがあるでしょう?恋愛ってある種のマインドコントロールだから、それがなかったら成立しないところあるよね。その人が一番いいって思い込まなきゃいけないから。
―恋愛は一種の宗教ですよね。宗教学の授業取ってて、宗教は自分の感情のすべての帰結が一つの対象になった時にそれを宗教と呼ぶって習った時に、あっ恋愛だ!ってなりました。
本当にその通りだと思います。
―結婚に関してもそういった感覚ですか?
うん。恋愛の延長が結婚でいいなって思うけどな。それで失敗する人もいるわけだけど。
―どういう子が好きだったんですか?
気の強い子。あんまりこっちがイニシアチブ持ってるのは嫌だな。
―尻に敷かれるタイプ?
というよりは、女の子は気が強い方が僕はいいと思う。男はちょっと気が弱いくらいがちょうどいい。
―白黒つけるのが嫌、みたいなことをよく発言されているので意外ですね・・・
自分がそういう性格だからむしろ「何言ってんの黒よ!」っていう人の方がいい。はいはいって言って、その方が楽だし。
―お子さんに接するときはどんな感じなんですか?これはこうだろって結構言いますか
まあ親だからこれはこうだよって言うけど。そんなに相対化して話したってしょうがないでしょ。子供に対してはね。僕はこう思うよって言ってると思う。
―お子さんは森さんに似てますか?
あんまり似てないと思うし僕のこういう仕事にも全然興味持ってないみたい。上2人女の子で下が男の子で。上2人女の子で、3人目も女の子でいいと思ってた。で3人目男ってわかって、え~男か、って。だって男ってうっとうしいじゃん。15,6になったらひげも生えてくるし、臭いし。なんか女の子はやっぱりかわいいし、きれいだし、清潔だし。もう3人女でいいのになって思ってたんだけど、いざ男生まれたら、男の方が可愛い。
―なんでですか?
バカだから。明らかに女の子の方が賢いし、しっかりしてるし、男はどっちかというと姉二人になにやってんのよって言われて半分泣いてて、それは逆にかわいいなって。だから、男の方がやっぱり劣ってるような気はするね。だからかわいい。
―末っ子長男っていうのもありますかね
まあそれもあるのかな。
―森さん自体はご兄弟いらしたんですか?
弟がいます。
―森さんにとっての子供の時のお父さんお母さんっていうのはどのような存在だったんですか?
母親はもう、典型的な教育ママ。
―厳しいご家庭でしたか?
うーん、親父があんまり喋んないけど、親父はどっちかっていうと放任だったかなあ。だから大学出たけど就職しないで芝居やるよとか言ってる時に母親とにかくもう半狂乱になってたけど親父はまあしょうがない、と。
―作品について何か言われたことは?
『A』公開のとき、母親は内心やっぱり困ってたよね。こんなの発表しちゃっていいのかと。だからずっと「A」発表した後もどっか就職しないのとかずっと言ってましたけど。親父は一回だけなんかぼそっと「あれはいい映画だった」って言ってました。
―ご兄弟との関係性は
まあもうこの年になったらね、法事か何かで会うくらい。
―高校生の時の話を聞かせてください。
高校時代に付き合ってる彼女がいて、バンドやってるグループがあって、彼女の友達はみんなそのバンドのメンバーと付き合ってて、だから僕もいれて、みんな常にグループみたいになってたんだけど、東京に出てきて一か月くらいで、まず僕が振られました。4畳半のアパートで泣いてたら、バンドのメンバーがみんなが来るわけ。安酒飲みながら、おい元気出せよって大丈夫だ女なんていっぱいいるんだよって泣いてたら、翌日になってそいつが泣いてて。気付いたら全員彼女に捨てられていた。女性は大学に入ると年上の男性にいきたくなるよね。どうしてもあの年代は男子が未成熟だからガキに見えちゃうのかな。
―佐村河内夫妻見ててうらやましいと思った部分とかはありますか?
うらやましいかどうかは別にして、傷は本当に強いと実感しましたね。奥さんが本当に毅然としてて、強くて。でもそれって結構うまくいくんだよ。ジョンレノンとオノヨーコにしてもそうだし、ダリっていう画家いるじゃない、彼もガラっていう妻がいたからだし、ゲバラも奥さん社会主義者で、彼女が考えたことをゲバラが言ってた。結構そういうパターンって多いし、そういう方が大きなことができるんじゃないかと思って。
―森さんは仕事に奥さんの影響とかってあるんですか?
うん、大きいですよ。僕よりはるかにクレバーだし聡明だし。
―仕事について話したりはするんですか?
するよ。しました。(「A」と「A2」は前の奥さんで「FAKE」は今の奥さんだけど彼女たちが)いなかったら映画作れなかった。物理的にではなくてね、(考える時点で)いろいろアドバイスはしてもらった。
―そういうのがあったから二人を撮った?
まあそれもあるのかな。でも物理的にあの部屋の中で撮影になるだろうから、絶対奥さんNGなら撮れないと思って。
―森さんの作品で恋愛をテーマに、男女を撮るというのは初めてでした?
そうですね。というか、僕女性撮ったことないんですよ、今まで。
もちろん今回は佐村河内さんが主役だけど、予想以上に奥さんの存在が大きかったなってことで。
―ドキュメンタリーを撮っている中で被写体の関係は意識してますか?
関係は常に意識してますね。被写体との関係を撮るのがドキュメンタリーですから。
ただね、距離を縮めるのが必ずしもいいって風には思わない。
よく、ドキュメンタリーとる時にどうやって対象との距離を縮めるんですか?って
あたかも距離を縮めること前提で聞いてくる人がいるんだけど、
原一男さんの「ゆきゆきて神軍」は見てますか?あれは奥崎謙三って人を撮ってるんですが、別に(監督と被写体の)距離近くないですからね。むしろ対立しています。
だから別に近い方が現場は楽だけど、必ずしも距離が近い必要はなくて、憎しみ合ってる監督と被写体の作品だってあっていんじゃないか、と。よりスリリングだし。
だから僕はあんまり近づきすぎるのもどうかなって思ったりするね。
―その関係というのは撮る前から決めているんですか?それとも撮りながら?
両方ありますね。こういう風にしようってのもあるんだけど、やっぱり撮ってく中で(決めていきます)。
だから思うとおりいかないこともあるし、その思う通りいかないことをそれはそれで撮ったり。
基本ね、これはドキュメンタリーに限らないんだけど、みんなこう聞きたがるのは、こういう時どうするんですか?この場合はこうすればいいですか?みたいな感じで。
マニュアルを求めがちなんだけど、そういうのはないんです。
―その場その場によって、ということですか
うん。それは相手によっても変わるし、状況によっても変わるし、相手と状況は常に違うわけだから、マニュアルはないですね。
だからその時の自分の感覚でやるしかないですね。
―今までドキュメンタリーを撮っていて一番驚いたこと、印象に残ったことは何ですか?
それこそ今回の、Fakeの最後のシーンだって、撮りながら驚きました。あるいは「A」のときか、警察の不当逮捕撮れた時もびっくりしたね。
―今まで撮影していて一番危険を感じた現場はどこですか?
2つあってね、1つはテレビ時代。初めての仕事が海外だった。香港にね、もちろんADとして。それで九龍砦城って知ってるかな。マフィアの巣窟っていわれてるすごい建物があって。そこにたまたま被写体の女性タレントが入り込んじゃって大騒ぎになって、これもし万一のことがあったらお前らどう責任とるんだって言われて、決死の覚悟で、中入って探しまわりました。実際入ってみると全然普通の人たちが普通に暮らしてて怖いことなかったんですけど。入るときは相当緊張しましたね。
あともう1個が、天皇のドキュメンタリーちょっとだけ撮ったんだけど、一般参賀っていって毎年1月3日に皇居のバルコニーから手を振るやつあるじゃないですか、あそこに天皇一家のそっくりさんを、ザ・ニュースペーパーという劇団の役者さんたちを、天皇一家のコスチュームにして連れて行って、それを撮ったんだけど、最初はウケてたんだけど、だんだん周りに右翼が増えてって、あのときは少しまずいと思いました。
でも右翼も困ってるんです、これが悪意かリスペクトか分かんないから。
僕のすぐ横で右翼の若いスキンヘッドの男が携帯で「今変なのきてるんですけど、これどうしたらいいんすかねぇ」と誰かに相談してるわけ。あの時は、内心は大笑いしながら、ちょっとまずいなって思った。
―昔からそういうのにもあまり臆せずというようなタイプなんですか?
ニブイから。別に勇気があるわけじゃなくて鈍いんです。
―では森さんからしたら他の人たちのほうが怖がりすぎだ、みたいな感覚ですか?
うん。不安と恐怖が強いんです。東アジアの人はそうなんです
トランスポーター遺伝子が関わってるという説があったりもするんです。
ちょっとみんな見えない敵に怯えすぎるというか、そういう傾向は感じます。
―日本のメディアについてはどうでしょう?そのような傾向を感じますか
うん。要するに迎合するんですよ、日本のメディアは。(「FAKE」に登場する)アメリカのメディアは迎合しないでしょ。だから聞きたいこと全部聞いちゃうし。
だから僕も、あの時は撮りながら思ったんだけど、イチかゼロなんですよ、あちらにとっては。
楽器を弾けるのか、弾けないのか。聞こえるのか、聞こえないのか。でもその間があるから佐村河内さんもうまく答えられなかったわけだし。
まぁアメリカ的なプラグラティズムというかね。
―あれを見ていて人って理詰めで行動しているわけじゃないんだなぁってことを考えさせられました
うん、そう思う。多分みんなそうでしょ。
結構みんな後付けでそういう理由をつけてるんじゃないかな。
そういう意味でいえば、佐村河内さんはわりと純粋な人というか、彼は後付けでベラベラ喋ったりするようなタイプじゃないからね。
たぶんね、撮り始めた頃は怒りで、神山さんや、新垣さんに対して、あるいは文春に対して、メディアに対して。怒りでそれどころじゃないって感じだったんでしょうけど。少し時間が経ってから、落ち着いて、そうか、自分は曲を作りたいんだって感じがあったのに自分でも気づいたってところもあったんじゃないかな。
―それは撮りながら感じてたと?
うん。もちろんこっちは撮りながら、撮る立場として、そこは狡猾に計算してね。だったらもしかしたらこれがラストのシーンになるかもしれない、とか考えながらね。
―純粋に疑問なのでが、なぜタバコをやめることを宣言したんですか?
なんか思わず口に出た。ちょうどあの時辞めたいと思ってたしね。
言った瞬間に猫が嘘つけって顔してた。
―森さんは自分の作品の反響だったりとか、自分で見たり調べたりすることはありますか?
今は流石に映画が気になるので、ツイッターのエゴサーチとかしますよ。
それでもう炎上とかになったらうんざりだなあって感じのもある。まあでも映画のツイッターは気になるからね、見ないわけにはいかないって感じ。
―そういった反響の中で、賛成的にしろ、批判的な意見にしろ、森さんの心に来たなっていうか、印象的だったことってなにかありますか?
「FAKE」に関しては否定的な意見はほとんどないんですよ、お客さんからは。神山さんも新垣さん(の事務所)もネットではそれぞれ色々発言されてたりするんですけど。
僕はその辺いいやって思ってるんですけど。だからあんまりやられたなってのはないですよ。
―神山さんともやりとりしていましたよね?
全然調査報道してないとかなんとか批判していましたね。でもこっちはハナから調査報道なんかしてないからね。むしろ避けました。映画はジャーナリズムじゃないから。だからその批判は的はずれだなって。まあ逆に言えば、その反論のレトリックしか作れなかったのかなとは思う。
―森さんの映画は切り口が斬新というか、他の監督とかからしても意表を突く部分にフォーカスしている作品が多いと思うのですが、その森さんから見て、うわぁやられたなぁーっていう作品はありますか?
いっぱいありますよ。それこそ昨日見た「マネーモンスター」もすごく面白かったし、「ニュースの真相」とか、「スポットライト」とかね、最近でいえば。
―話が変わりますが、森さんは明治大で教鞭をとられていますよね。今の若者、学生にどのようなイメージを持っていますか?
素直だなって思いますね。悪い意味も含めて。僕が学生の頃は、教授に噛み付く学生がいたりだとか、着てるものとかも、高下駄履いてドテラ着てキャンパス闊歩していたり、個性的な学生が多かったかなって。
着てるものもそうだけど、今はわりと同じものを着たがったりするじゃない。サークルで統一されたパーカーとか。
昔は同じもの着てるやついたら恥ずかしいみたいな。
―目立たないことに主眼を置いてる気がしますね
うん。今は大学の授業かなんかでも、学生は後ろの席から座るじゃない。欧米の大学なんてそんなことないよ、せっかく同じ学費払ってるんだから、元を取ろうって。多分そっちの方が当たり前でしょ。で、質問は?って聞いても誰も手あげないのに、授業終わると教卓に近づいてきて「先生、質問があります」って。おまえそれなんだよって。しょっちゅうありますね、こういうのは。だから目立ちたくないっていうか、そういう傾向は感じますね。
―それの背景とかって森さんはなんだと思いますか?
言葉にすれば集団化です。集団化って要するに同調圧力が強くなる。つまり集団化が強まると、異物になっちゃうとみんなからいじめられてしまうと。だから集団化するとみんなと同じ動きをしなくてはって傾向が強くなる。
―社会全体の傾向がそうなってると?
うん、それが若者にも影響してる。メディアだってそうでしょう。だから今の日本のメディアの問題点ってそこにあるような気がする。
―そういった意味で、メインストリームのいわゆるマスコミ批判をされてる森さんですが、早稲田とか明治とかでは、そのような大手マスコミなどに入ってやっていこうという学生も多いと思います。そういう人たちはこれからどういう姿勢で進んでいけばいいんでしょうか?
まず、後ろめたさ持ってください、ということです。やっぱりね、メディアとかジャーナリズムとか、人を傷つける仕事なんで、決して胸張れる仕事じゃない。だから「申し訳ない」と、世間に対して申し訳ない、という気持ちを持ってやるくらいがちょうどいいと思います。
―最後に森さんの座右の銘は何ですか?
じゃあ一応定番で「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」。これは本のタイトルにもなってるんだけど、自分でも1番これがフィットするなって。これも要するに、多面的なんだってことを知れば、優しくなれるってことでね。
僕ね、一番最初の子供が生まれた時に、当時はサラリーマンで中央線で通勤してたんだけど、結構混むわけです。朝なんてしょっちゅう足なんか踏まれたりとかするわけじゃない。そしたらムカッときて、なんだこの野郎みたいに思ったりもしてたんだけど、子供生まれてからはそういうのなくなったね。足踏まれたりして、チラッと見るとさ、禿げたおじさんとかいるんだけど、子供産まれてからは、このおじさんにも家帰れば子供がいて、奥さんがいて、いろいろあるんだよなぁーって。そう思うとね、全然怒る気がしない。だから優しくなれたなぁーって思ったね。だから色んな視点で人って変われるし、やっぱり人っていうのは愛おしいし、ってことに気づけると思うよ。だから視点は色々と持っていた方がいいと思う。
まぁそれも含めて、「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」です。
―ありがとうございました。