ムルアカ

 

プロフィール

ジョン・ムウェテ・ムルアカ(鈴木宗男氏の元私設秘書)

1961年生まれ。コンゴ民主共和国出身。東京電機大学卒。

公式サイト:ムルアカオフィシャルホームページ

 

 

(以下、講演録)

 

講演会@大隈大講堂 (‘04.6.9)

 

ジョン・ムウェテ・ムルアカ氏登場

 

 えぇ、みなさんこんにちは。ジョン・ムウェテ・ムルアカと申しますが、私もホントに久しぶりというか、早稲田に来ましたけども、このキャンパスは生まれて初めてでございまして、他のキャンパスにはよく行きますが、まぁ、今ご紹介いただきましたムルアカですが。えぇ、まず、お招き頂きまして誠にありがとうございます。

 

 えぇ、今日は私の師匠の鈴木先生が来る予定だったですけれども、ちょっと、あの、選挙も近づいていることでございまして、まぁ今、もう全国のマスコミをかけられてなかなか大変ということでですね、まぁ私も実は大学の先生をしておったというかですね、今でもまぁ海外の大学の教授をやってましてですね、えぇお前、あのあなたずっと教えてたものですから、あの早稲田大学の学生たちにあなたの人生観とかですね、今まで生きてきた経験とかですね、話してあげたほうがいいじゃないかということで、あの今の幹事長が見えまして、まぁ幹事長わざわざ来るならば、あの今はまぁ自民党の幹事長いるんですが、早稲田の幹事長も来るならば受けましょうということでここで参りました。

 

 まぁ、ムルアカという人間はどういう人物かというのは、これはなかなか分からないだなぁ。誰でもなかなか分からない。ムルアカは格闘やるか、ボブ・サップ倒すかどうのこうのかというのがですね、しばしばもうマスコミの好きなように書くですが、まぁ私は人間としては、否定しませんが、私はもともとまぁマルチ人というかですね、もうあらゆる仕事してきた。まぁ、私の専門というのがまぁ生体磁気の研究でございまして、まぁというのがみんな想像しにくいと思うのですが、まぁ言わば人間の脳の中に、頭の中に脳がございまして、その脳の細胞の動き方とか向き方とか、あるいは神経細胞がえぇまぁどう活動してるかとかいうのが私が研究してたことですね。

 

 まぁ、あるいはみなさんよく“あっ、この人ムルアカじゃないか?!”ということ思い出す時を考えた時に、目から信号を送って、その情報から信号流してそれで“あっ、この人だ!”ということで一つ一つの分析の中に、言わば驚くスピードで“この人間だな”と、“今日はこりゃカレーだな”、と“あっ、これライスだな”とそして感情が生まれた時に脳がどう反応するかというのが、言わばさっきテレビにこの頃出てる、まぁあの東大の養老先生が話してるような、えぇ脳のことが我々の研究でございまして。7年私はその研究して、たくさん論文書きましたけれども、あともう一つはもうあの人間の肺というかですね、我々人間が呼吸する、その外出て呼吸するですね、その呼吸してる時にあのー、あれ歩いた時に、いろいろの粉塵というかですね、ゴミというか見えないね、見えないものを我々は吸っているんです、日頃。その肺の中に溜まってくると、えぇどんな反応するか、年取ってくるとどんな反応するか、あるいは皆さん若い頃はいやーあのーご飯の後のタバコの一服はいいなあという、気持ちいいなあという、いやー大学入ってタバコ自由に吸うこと出来ると、そのタバコ吸ってる時に肺の中にあのータバコの煙が溜まってきまして、それでいろいろの影響を起こす。そのような研究あるいは測定をえー、開発あるいは発明というのを我々はずっとやってきましたし、まぁその分野の論文たくさん書いたり、まぁ学会賞取ったりというのが、世の中というのが真面目な事言っても誰も感心しないというのが現実ですね。(笑)

 

 そのような事やってもですねほとんどマスコミの方に言っても、“あぁすごいすごいすごい、だけどムルアカさんボブ・サップどう思いますか?”って、いやあの人はただの素人だなと言ったら、“えぇ?!ホントか”ということで、ホントですよ、あの人だってアメリカのサッカー選手ですよ、太ればいいものじゃないんだよ、ただ太ってるだけでね格闘ということにこれー、我々まぁ私は5歳ごろから空手勉強してきて、まぁ柔道もやってボクシングもやってこれはまぁ日本の武道ですからずっとやってきておかしいことないですからね。あの武道するのが。練習するのが。まぁ、橋本龍太郎先生だって剣道やってましたよ、総理大臣の時でも。なんでムルアカさん空手やっちゃいけないと。でもマスコミに一歩出たらですね、“ムルアカさん空手も格闘技でしょ”と、そりゃそうですね、空手も格闘技ですねって言ったらね、ムルアカさん格闘宣言しましたということにでっかい記事出ましたですよ。(笑)いやいやこれはこれは、ホントにびっくりこいてね、そうじゃないって言いながらそれも面白おかしく捉えてしまうですね、いやいつ空手の練習してるだとか、もう空手は辞めたとかね、“もう引退ですか?”と、いや引退しませんからと、じゃー今度空手の練習また行きますからと、もう来る方は決まってるですね。かわいいお嬢さんというかなんかリポーターの女性連れてきたりですね、なかなか怒りにくい人間ばっかりですからね、あのーいやいやなんか良い男のリポーターが来てですね、もう声小さくして“ムルアカさん、また練習やる気持ちありますか?”ってそりゃー当然でしょ、空手やってる人間は30数年やってる以上はそんな簡単に辞めるというのは出来ませんから、まぁ練習来ますよと、道場行ったらたまたま私の道場はすぐ早稲田、このキャンパスのすぐ近くでございましてですね、あのーちなみに私の空手道場今世界チャンピオンもいるし、あのその沖縄から来たあのー空手ですね、極真きと言って極真の前の空手、かなり古い歴史ですから当時おそらく第一ぐらいの道場じゃないかと、その空手作った先生がアメリカ渡って空手の綺麗な型教えてた先生ですから。亡くなった中国人のレフリーですね。そのような深い歴史で、ただ我々が武道してる人間はリング上がる、金儲けるためじゃないんですよ。武道というのはある程度の哲学ありますから。いうことで、私はもうボブ・サップと喧嘩したくない、そんな器じゃないということを言ったら、もうこれ盛り上がってアントニオ猪木という男が“ムルアカさん、私の誕生日パーティー来ないか”という話しで行きました。行ったらボブ・サップいましたですね。まぁむこうは素人こっちは本物の人間ですから(笑)近づいたらやっぱボブ・サップ下がったですね。あぁ、これはもうやっぱり素人だなあと思いましてですね。

 

 まぁその話してもしょうがないですが、せっかく呼んで頂きましたですからまぁ人生の経験とかですね、あのね私のまぁ人生の価値観というものですから、みなさん若いですからもう日本で生まれて素晴らしい国、私はあのアフリカという国で生まれて、まぁあのアフリカというのが53カ国の国ありましてですね、そのど真ん中というコンゴ民主共和国、まぁこの国も問題だなと。時に名前変えてる、ザイールに変えてまたザイールは駄目でまぁコンゴ民主共和国に戻ってきてるですが、その国はまぁ非常に資源豊富な国ですからなかなか発展しないんですね。そして貧乏な方すごい多くてね、食べないで死んでる子供ものすごいたくさんいるんですよ。で、わたしがまぁうちの家族はまぁ貧乏というか普通の家庭ですね。でもまわりのうちの近所はものすごい可哀相でね、もうもうなかなか T シャツないですから、もう小学校途中で向こうは授業料払わないと小学校行かれないですね、だからもう小学校どうしようも駄目というかですね、途中で病気になってすぐ死んじゃうというかですね、その方々実は私の同級生はコンゴで小学校、中学校あるいは高校の時に一人しかいないですね。みんなほとんど死んでしまったですね。簡単な病気、その実態私見てきた人間として、私まぁこう勉強してまぁ卒業もしまして大学も、またテレビ局の仕事してだんだんだんもうまぁ言わばみなさんいつも言ってるエリートコースは見えてきましたけれども。でも、そんな事やって他の貧しい子供たちはどうすればいいかと、いうことで私はテレビ局の仕事を辞めて日本に来ましたですね。コンゴの方々が“いやー、ムルアカという人間は狂ってしまった”と。日本語も喋れないのに、日本に言って何を勉強するのかと。仮に日本語の勉強しても、ただ1,2年3年かかる。そこから勉強しようと思っても、もう年取ってしまうと何も出来なくなると。あの人は狂ってると。

 

 でも私は勇気を持って日本に来てですね、何とか勉強しようと思って東京電機大学という大学、ほんとは早稲田大学がよかったと思うんですけど、まぁあのえー東京電機大学で技術のほう勉強しようと思って入りました。えーまぁいろいろ勉強して最後はあのー博士号とってまぁ今の研究続けてやってるんですが。そこでまぁ出会い、政治の事にちょっとかぶる。ちょっと時計見ないと。あっという間に私はちょっと前ぐらいにも講演頼まれて6時間喋ってしまったですね(笑)いや、あの冗談じゃない、ホントですよ。女性の会でね、喋ってくださいと出来れば多めに喋ってくださいと言われたもんだから、時計見ないで私ずっと喋っててですね、もう夜の、夕方というか夜の7時ごろ喋ってたですね、時計見たら夜中の1時になっちゃったですね。だからみんな夢中になって話聞いてたらもう時間飛んでしまった。だから必ず時計見ながら喋るようにしてるんですが。まぁ、大学ではそういう事はないけど、チャイムはまぁ鳴ったりするんですけども。そのような事でまぁあの何言おうとしたかな。

 

 あのー、大学やってる時に鈴木宗男先生との出会い出来ましてですね。まぁあのみなさん、私の生き方は『人生出会い』これも鈴木先生が教えてくれた一つの言葉でございましてですね、えー出会いは偶然じゃないという。だからあのなんで鈴木先生と出会ったかということは簡単ですね。私今まで話してきたようにアフリカのことずっとやってきて、日本来てもずっとそのこと頭の中にあってやってたですけども、多くの若い人あるいは行政、言わば外務省関係役所の方々とあるいは国会議員が、何でアフリカは発展しないかと、日本とアフリカの事どう考えればいいかとその事勉強やってたですね。そこでさっきの話にあったけど、日本の国会議員はね、案外行きますと言っても来ないんですよ。ということがあってですね、唯一来たのが鈴木宗男先生ですね。彼は約束した時によっぽどの事がなければ必ず来るですね。

 

 今日はホントに本人からもうくれぐれ早稲田の学生たちに選挙終わったら必ず行きますから、申し訳ないと。行きたかったけれどもこの状態だと逆に皆さんに迷惑がかかるという事を言っておいてくださいという事でございましてですね。それは置いといてですね。

 

 まぁあの鈴木先生が来てくれて、まぁまじめにアフリカの政策をよく考えると日本の政府の中にアフリカというのが分からないんですね。で、アフリカといえば今みなさんもそうかもしれないけど。アフリカは一つの国と思ってる方たくさんいるんですね。アフリカの動物はそこにいるかもしれない。アフリカはもう言わば砂漠とかそういうようなイメージでも、我々人間発生してるのがアフリカですね。最初の人間はアフリカで出て、それで我々が今日いる。振り返ってみると親戚みたいなもんですね、うん。ですから、そのアフリカはさっき言ったように53カ国ある。でもそれが1国みたいな形で捉えるというのが全然まだまだ日本の中にアフリカの事わかってないと。だけど、アフリカから出てきてるもの、あるいは我々がよく食べる蛸とかですね、案外アフリカきてる蛸たくさんありますですね。あなた、この蛸美味いなあってアフリカからきてるですね。でも人間関係よく知らないですね。うぅん、あるいは逆にあのアフリカの方々日本の車とか電化製品たくさん使ってるですけど、お互いの交流はないですね。ほとんどない。そのような仕事でずっと私が一生懸命鈴木先生とやってきて、やってるとともにまぁ政治の範囲で見るとまず儀礼という、もう言わば儀礼ばっかりでしたね。○○儀礼名、●●儀礼名もう全然覚えてない。この頃もうこの2年私休んでる間もほとんど覚えてない。だから、何のための儀礼って私よく言ってたですよ。そこで、私は最初しっかりした儀礼作って、2つ3つちゃんと機能を動かして、セミナーあけて、向こうの議員さんも来てくれて勉強して、さらにこっちの議員さんも向こうに行って勉強してもらってたくさんの活動が目で見えるようになって、それでまぁ上手く日本のアフリカ政策とかですね、日本の世界にとってのプレゼンスは出来ました。

 

 これはこれは、政治の世界というのはおもしろいもんで、やってるとともに私は表舞台の多くの方々は私のことほとんど知らない。だけど現場にいる国会議員の皆さん、あるいは歴代の金丸先生とか竹下先生とかあのー、今の小泉さんとかですね橋本先生とかね、様々あるいはガン直人じゃなくて管直人か、あのーそのような方々はもうほとんどよく知ってるですね。特に小泉さんは時には一杯しながらですね話する仲間ですから。それ私がこう思ってる。私の考え方はこうと、この政策はいいと、素晴らしいということになってきて、外国のお客さん来るとあのー大統領ですね、来ると私が出迎えしたり、まぁ外国のみんなお付き合いはもうよく知ってる仲間の、まぁ仲間の大統領で、挨拶はもうお互い抱きながらですね。生まれてくるのがヤキモチ。あの外国人が何でそんなになんか偉いような形でもうなんか大統領と抱き合いながらですね、ヤキモチばっかり生まれたですね。それで、どうやってそのだってアフリカは53カ国あるから。だって日本の政策のアフリカ方面見ると大変なもんですよ。と、同時にアメリカとかの方々も私のこと注目して、あの人はただの人じゃない、実は秘書と秘書と秘書がいるんですからね。日程書く秘書とか、お客さん対応する秘書とか、と本物の秘書。まぁ私、いやいや本物の方というかですね。自分で言っていいかな(笑)本物の方がいいと言うのは物事言える事ですね。私あのー、うちのまぁ私の師匠だった鈴木先生は、物事言ってた。ここは NO だよ、ここはいけませんよ、これはこうしないといけない君の言う通りだなと。でも他の方々もペコペコペコペコね、あの頭下げながらやる方、もうそれはレベル違う。だってそうでしょ。学者でいる私も先生だから、いくら国会議員だって私は本物の先生だね、考えてみたら。だから、コンプレックスは何もありませんから。考え方しっかりしてるですね。そのような事で、まぁ付き合っていたですね。だけども、いやいや外務省の方にヤキモチ思われてくるですよ。なぜならば、みなさんも若い人特に分析能力、せっかく大学来てですねずーっと遊んでおって、後出たら何にもならなくなると話にならないですね。やっぱりせっかく大学来て、この大学来てるチャンスつかまえてですね、しっかり勉強して私は分析することは誰にも負けないと、私は大学出たから誰もコンプレックス持てないというような生き方すれば、これは全然違うですからね。で、私あの国会の中の議員さん別に馬鹿にしてる訳じゃないけれど大部分の先生方私から見たら、まぁ選ばれたからしょうがないけれどこの程度の人間は私の相手にならないと。

 

 だから、時に私あの、公務員の方でも局長であろうともちょっと黙ってくださいと、あんた言ってる事無茶苦茶ですよと、どこの大学出たのと、そうすると向こうは“私局長だよ”とあなた局長だからって何ですか、私学者ですよと言う風にやりあって、結局私が言ってることは正論ですから多くの国会議員が、あの私は通常ジョンと言われてまして、“ジョンの言ってる事正しいでしょ。局長何言ってるの。あんたいい加減にしないか”と、だってみなさん例えば外国というのが出る大使館は日本の税金で作られるもんですよ。大使というのが外国行くと王様みたいに偉くなるけれども、普通の公務員ですよ。それは日本の税金で給料貰ってる。であるならば、納税者言わばみなさん例えば社会人になって払ってる税金で彼らが仕事できるんです。そうだったら納税してる方々に感謝してしかるべきじゃないですか。それでよく時々外国で問題起きた、例えばイラクの問題もあったりするけれども、それですぐ大使館が、大使館閉鎖、大使とスタッフみんな家族すぐ日本戻るその時、外務省から書類出て、このような国は問題になって閉鎖しました、だからすぐ報告にやりました、もうそこは使えないと。国会議員の先生方半分は“ははぁ、それは立派。大使もみんな怪我なかった?そうなかった”、わたしちょっと待って下さいと、局長よあんた大使館を閉鎖しました。すると局長すぐ、“あなた答える必要ないから。あなた国会議員じゃないから”、私国会議員じゃなくても、私の話をよく聞いてください。もう他の先生方も話し聞いてくださいと。ムルアカさん言ってくださいと。私が聞いてるのは、大使館閉鎖にしました、であそこの国に住んでる日本人はどうなってるですかと。あなたたち自分で閉鎖して、自分の家族危ないからってすぐ日本にすぐ逃げてくる、じゃぁそこに住んでる日本人はどうなってるですかと、何人ぐらいいるんですかと、そこに行くのは日本人守るためじゃないですかと、日本人捨ててよ、そしてすぐ閉鎖しましたという事にね、閉鎖しましたで帰ってくるのは税金ですよ。どうなってるですかと、説明して下さいと、日本人何人ぐらい残ってる、どんな状態で残ってる、リスクがあるかどうかという説明はして下さいと。そしたら国会議員“はぁ、すごいところを突いたなあ”って、じゃあ言ってくださいと。そしたら向こうは困った、そんなデータ持ってないんだよ。そんないい加減なことにね、やっぱり確認してくださいと。

 

 ような私、そういうような仕事とかいろいろ多くの国民の目線考えてですねやってきた。でも生まれるのが案外キツイ事言う人間はヤキモチ出る頃ですね、だんだんだんだんだんあの人邪魔者と、あの人の言う事はキツすぎと、そりゃそうですよ。みなさんどう思いますか??私さえこの日本に来て、20年近く私日本にいるですけど、皇室の方に握手したことないですね。でも握手するのが大使の方とか、言わば国を代表してくる方ですね。その中に今テロの時代という時代になった、怖い、誰が変な人来るかわからない。だから注意しないとならない。外交の事に私が大体いろいろ見てきてる。自分の国についてこの人おかしいと、この人なんか大使なろうと方でまだ日本政府決めてないのにその方はもう名刺作って歩いてる。その方は変な言い方するとアレですけど、六本木で遊んでた男だよ。若い時は髪の毛染める事あるけれども、それは若い時代は染める事あるかもしれないけど、普通大使になる人間は赤い頭染めて、六本木で遊んでたエリートだよ。その方が大使になろうというのは、言わばテイネイカさまとか、あるいは皇太子とか、あるいは総理大臣と握手しながらやる人間。その方私が調べた範囲では経歴持ってない。私の国に来てた方ですから。国の中調べても何処に生まれて何やってたかということが分からない。いろいろの情報網からベストを選ぶと、戦争の武器の密輸をやろうとした男だと。これは恐ろしい人間ですよということですよ。それで、我々の外務省に言っても“ムルアカさん、あなたが日本のこと心配してることよく分かってます。でも、その方はねこっちの方と付き合ってるよ。怖いからいいよ、やらせて”と、私はこら課長、あんた何言ってるの、あなた自身の身が怖いからと、じゃあ日本の国民、日本国は怖くないですか、日本の国民はどうなってもいいですかという事ですよ。いや、ちょっと悪いけどここだけの話という事になったりするけどそりゃ怒るのが当然じゃないですか。私だって言ってるんだからリスク負ってるよ。だけど、日本の1億2700万人の生命と外国に住んでる日本の方々に何かあったら大変。要は何かというと、大使になったら実際的な外交特権貰うんですから。調べる事ほとんど不可能ですから。その前にどの国でも、外交に言わば大使になる方あるいはその人事の方に必ず外務省しっかり調べて初めて OK 出すんですよ。ところが、何にも調べないでただあの怖さで決めようとするんです。私はそれはもしそのような事になったら、許す事が出来ない。日本は昭和20年に大変な被害を受けて、長崎・広島にこの東京、今我々が立ってるこの新宿もそうですけど、ほとんど多くの方々が亡くなってしまったんです。その事をあなたたち外務省職員は頭の中に忘れてしまってるんじゃないかと。アフリカは今、紛争戦争、紛争問題でみんな死んでる。イラク見てください。戦争始まったらもうなかなか簡単には終わらない。そのような危ない人間は何で決めるですかと、結局今の川口さんが外交何、予算委員会もその方の名前に労働的に大衆の ID は認めないとならないということに言ったんだよ。私はそう日本政府、外務省であっても決めても、私は自分の国に日本という国は傷つけちゃいけないと、絶対に私責任持って自分たち方の大統領にそんなに人間に誰が怒ったどんな考え方持ったと日本はこのような太陽の国であるし、日本はアフリカ悪い事してない。なのにそんな危ない人間に日本来るということに私が国に厳しく言って、国は私の話聞いてやっぱやっちゃいけない事、誰が決めたという事を調べたらその方クビになったんです。でも私の事に外務省の中に“いや、ムルアカさんが言ってるのが正しい。正論ですから。聞いてあげてください”と言ってた方みんなこの川口さんが処罰したんですよ。今になってその事よーくマスコミも分かって、奥の方も分かった、謝りなさいと。おまけにこの外務省は私の事、鈴木宗男という人物を潰すためにムルアカこりゃもう絶対に許さない、潰そうという事でパスポート偽造言われてきましたですね。みなさん、パスポート偽造はたぶんみなさん想像出来ない。パスポートというのは、国際法に則ってるものですからね、だからよく時々私外務省の方々が間違ったことで、いや、あの人外に行って自分の考え方言ったから事故になったの自分の責任と、ふざけるなと私言うね。全然分かってないな。特にこの民主党は全然駄目だ。言っちゃ悪いですけども。パスポートというのはその中に国がスタンプ押して、日本国にいる以上は国が責任持って何やっても夜でも昼でも外国あった時に国が守ってあげるというのがパスポートですよ。どこの国でもそうですよ。みなさん、パスポートよく読んでください。それで、事故にあった人間は勝手にやってすぎと言うのは、そりゃその人の仕事かもしれないけれども、でもまずその事を話する前にやってあげる、守ってあげる事、これは国の仕事ですよ。だから私はそれで、ガンガンやってきて結局パスポート偽造と言われて、これパスポート偽造というのは大変ですよ。外国どこでもましてや外務省出てる話ですから。この川口さんが民間人にいながらね、これはちょっとなかなかねここにいる方々と全然違うんだよ。川口さんは上だ。金持ちだから。うぅん、環境大臣何回かやって、外務大臣やってもうずーっと大臣やってるんだよ。給料もう普通の桁違うんだから。その苦しんでる方々、例えば私小さい子供いる、小さい子供いる人間があんまり嘘の事言ったら大変だから。可哀相と思った事が1つもないんだから。だからその時はね、1日に200人のマスコミ来てたですね、私の家に。もう木の上でもマスコミ、ヘリコプターまで飛んで来たですね。ムルアカの X デイというのが、いつ逮捕されると、大変だよ。だけど、あれはもう1つなんかムルアカさんが外務省の30億隠してると。で、私畑が好きなものだから、近所の畑行って何で畑行ってると言うの。その畑の下に30億隠してるじゃないかと。(笑)朝起きたらなんか畑の中にでっかい穴があいてるだよ。これは恐ろしいですね。いや、ホントに今となっては笑い話ですけれども、大変なエネルギーだよ。私の家内が言ったんだよ。“私は30億貰った事ない”貰うだって、30億ですよママ考えてくださいと、するとうちの家内はね、“パパ、銀行に電話してみて下さい。誰か間違ってわざと30億振り込んだかもしれない”、誰かが間違えたなら今のところ有難い事ですね、こりゃ。でもその30億振り込むというのが大変な事ですよ、それ。出来る訳ないんですから。だけどその時は外務省は黙ってですね、30億の存在はしてないって事全然、逆に喜んであの、ガンガンやられたですね。

 

 で、私は真実を今日みなさんに、若い人に教えたかった事は、真実というものは残るもの、真実、これは生きる上で真実という事をずっーと心の中に入れて生きなければ遠い所に行けません。嘘というのは消えるもんだよ。だって、私たちまぁ私は脳を研究してるけれどもいろいろのストーリーで真実に関係してくるですね。でも嘘は口で出るもんだから、すぐ忘れるんだよ。自分で何言ったか分かんない。結局別の嘘つかないといけない。嘘と嘘と嘘を重ねて結局嘘を在る時期はもうつけなくなる。これ爆発する。だから私が外務省の川口さんに嘘はいけませんよと、嘘やってくると、昔うちの母さんに嘘は泥棒の始まりという事教えられた。だからそうじゃなければ、見直したいならば謝ればいいよ。ごめんなさいって簡単だよ。二文字、御免ね、簡単だよ。こんな簡単な事なんで出来ないというのか。だからある意味で私は言ったの、私の教え子が外務大臣になったほうがお前らよりマシ、この程度なら。というのが間違いに気づいた時に謝った方が一番楽でしょ、人生は。そして人生の真実を持たないと絶対に遠い所に行けません。何で私が自信持って言えるかというと、真実を私は持ってるんだよ。だからあの時はもう、ムルアカ逮捕されるというのが私は堂々と言ってたんだよ、だからマスコミが集まってきた。あのような予算委員会、鈴木宗男先生が可哀想にね、あの辻元が来て(笑)ねえ今大阪に出るというの。あなたと母さん私の同じ名前だから、嘘ついちゃいけない、自分で嘘つきだよ。泥棒税金が何でその、恐ろしいですよ。これはやっぱり何かというと、言ってる事はまったく自分の、自分自身の中に真実がないんだよ。これ怖い話ですよ。だから、例えばムネオハウス言ってた共産党の先生が“ムネオハウス、ムネオハウス!”と私を見たらね、家で私テーブルを叩きながらね、私は言ったんだよ、国会に呼んで下さい、私行きますから、ちゃんと私話しますから呼んで下さいと、でも呼ばれないんだよ。こんな私みたいな男、怖い。喋らさせたらもう大変だよという事。そりゃそうですよ、だってロシア人が英語喋らないんだよ、分析してみて下さい。あのムネオハウスという事を言ってるロシア人が英語を知らない、あの北方領土にいるロシア人がハウスと呼んだ事なんてありえる?!これは真っ赤な嘘ですよ。でもそのような人間に私あのね質問してる、あなたの嘘は次はですね、何でハウスという存在知ってるですかということを聞けばいいんですよ。その、鈴木先生のその中の質問は本人が嘘をついちゃいけないという、嘘ついたら即刻その場で逮捕されるという話です。でも、質問する側は嘘つきですよ。あれはよく分かんない。アフリカの何かな、スズキホール?!私にとってなんか政治家そんなに暇だったかなと私言ったんだよ。だから私が当時の話では、私あの抵抗勢力じゃなくて悪魔勢力を覚えてるという事言ってたんだよ。でもみんなマスコミは、そんな事言ったらもうますます国会議員が叩かれるよと。そりゃそうですよ。嘘ついちゃいけないんだよ。あれは私が現場にいた人間ですから。タンザニアのマサイ人が今言った可哀想、学校はコンクリートの学校をあの村の方々は見た事がないんだよ。その方々になんとか小さい学校でもあの、作ってくれないかと。卒業式に雨降ると中に水が入るから、いろいろ我々も子供たちも大変だからと、涙しながらやってくれないかと言うもんだから私も鈴木先生に何とか出来ないかと、国の予算は何も外務省は出来ませんという事ですから、補助のことは国はやれないから、で鈴木先生がじゃあしょうがないから1千万以内くらいのお金でせっかくだから自腹で私がやりますと、これは感動の話だよ。自腹でやります、だけどこの金を盗まれたら大変だからどう送ればいいか、送る方法は万が一を考えると怖いから、アフリカのマサイはそりゃ田舎ですからじゃあしょうがないから外務省に頼んで、そのお金を外務省に持って行ってもらって、そしてその現場にちゃんと建設してもらおうという事をたまたまこれを NHK が放送したんだよ。その村に私鈴木先生と一緒に行った。村の方はコンクリート見た事ないから感動したんだよ,涙ながらに。鈴木ありがとう、言わば鈴木よりはその日本ありがとうという事ですね。向こうは鈴木というのは、鈴木自動車とみんな親戚と思ってるんですよ(笑)こりゃ同じですからね。だけどよく見ると違ってた。でも鈴木先生を NHK が放送して、そのアフリカの方々みんな感動で泣いてる。嬉しく思ってる事は国会議員同士の中にあの、ムネオはアフリカになんか利権がないかということにね、私だからね言ったんだよ。30年以上国会議員やってる方々にね、1つの何億持っててもね、この1つの恵まれない子供たちとかアジアでもアフリカでもですねあるいは日本でもやった事ないんだよ。それなのにヤキモチだけ焼くというは何者かという事を私は言ってきたですね。だからこれでムルアカと鈴木はパッケージで、これ潰さないとならない。これ日本の国会ですよ。だけれどもさっき言ったように、まぁ鈴木先生は政治家ですからあの人は、私は別に私の師匠だから言ってる訳じゃないけれども、あの人は被害者ですよ。だけれども私は真実持ってるから、こうみなさん覚えて下さい。叩かれた時に大きい声で喋って下さい。だから今でもテレビがまだあの時の映像を流したりしてたですね。ムルアカさんが怒ってなんかマスコミと喧嘩してたと、そりゃそうですよ。小さい声で言ったら潰されるよ、いっぺんに。だから大きい問題になったほうかいい。ですからみなさんも学校が終わって夜、暗い道走ったりとかあるいは何か出てきた時に大きい声でやったほうがいいですよ。いやいや、“やめてー!やめてー!”と言うのが喜んでると思われるかもしれない(笑)いやホントに。腹から“助けてー!危ないよー!”という事でね言えば助けが出てくるんだよ。“やだー!やだー!”と言うのが友達同士で遊んでると思われるから。これ覚えておいたほうがいいですよ。だから政治の世界はあるいは社会はやっぱり自分の気持ちは大々的に言う、ただその時に真実を持たないと駄目ですよと、ちょっと時間見ながらですね、真実持たないと生きられない。この真実だけはみなさん絶対覚えておいて下さい。日本の言葉は嘘を、嘘も何かな方便とかというような言葉、ことわざあるけどね、それはそうかもしれないけど、だけども一番いいのはねリアル、自分のホントの事、説明するというのが一番、時間かかっても支持される話。訳分からない事言ったら話しにならないですよ。真実、まぁ時間どんどんどんどんなくなって、今日えぇと1時間、90分か6時まで、まだ時間大丈夫かな。というような事でありますけども、世の中やっぱり私は日本に来て政治の事も手伝ったりやったり,外交のこともやったり、えぇ研究もやったり、まぁもちろん武道家ですからスポーツもたまにやったりするけれど、テレビも出て下さいと、世の中不思議です。何でムルアカさんがテレビに出るのかと、それは出て下さいと言われたら最初は NO と言ってたですね、器じゃないと、それ言うと余計みんな来るんだから、出てと言われたら NO と言ってたら、あぁちょっと汗かいたな(笑)すいません、ちょっと水もないか、じゃーあのいやいやあのー冗談冗談冗談、えぇ。(笑)

 

 人研員が慌てて水を持って壇上へ、コップに注ぐ

 

 いやいやあのーねぇ学生たちのアレですから、やっぱりね無理しないほうがいい。無理しないほうがいい。ねえ。無理してねあのー水出したりとか、あれ出したりとかですね、案外その水の中に虫入ってたらなかなか飲めない事あるから、だから自然体が一番いい。真実。へへっ(笑)まぁそれは置いといてですね。

 

 まぁあの、人生で一番面白いというのがですね、いろいろのイクスピエリエンスは今話してるけれど、まぁあとみなさん帰って分析すればいいと思うんですけれども。あのー私も学生たちに教えたりするけれども、えぇうちの東京電機大学は私はもう半分というか、1 / 3の方々には嫌われてるですけれども、と言うのは私は先生方に言ってるんだよ。私も先生、私は日本に来てね自分のお金で授業料払ってきました長年、大変だよ。トラックの運転しながらよ、こんな東京で埼玉まで行ったりとかですね、朝から出て物運んでる訳よ、4トン車とかですね荷物たっぷり入れて届け、また夜間に大学行ったりレポートにしたり土日に一生懸命やったり、そりゃ少々眠たくなるよ。それでちょっと居眠りかけた時に先生は“バカヤロー!!お前寝るんじゃない!”って、はぁ先生…という事でやってきました。で、私が今教えてるクラスは子供たちちょっと眠い、どうぞ寝てください、どうぞ休んでいいよ、だって休んでるのは自然体なんだ。本人が寝たいというんじゃない、体がこれで限度だよと、脳がもう私は寝ますと命令出してるから、それでバカヤローって言われたらムカッとするのが当然じゃないですか。だから、私は半分の東京電機大学の先生に当時はバカヤローって言われた先生に、先生間違ってるよと、あんた勉強してないよ、そんな疲れる方もともと私が授業料払ってるからと言われるんだから、私みんな我々授業料払わなかったら学校成り立ちません。確かに教えてもらってる。だけれども先生馬鹿にしてるじゃない、メトロの授業考えてください、私あの教育実習して免許も持ってる、教員の免許ですけども、こう見えてもねちゃんと勉強してきました。しっかりね。あの恐らく日本の中の大学、あるいは付属高校、大学院で電子回路を学生たちに教えたのは外国人で私が初めてじゃないかと、そのぐらいまぁ自慢じゃないけど、少しは許可できると思うんですね。何が言いたいかというと、人間と言うものは可哀想、疲れてるでしょと。眠いでしょと、じゃあ少し休んでください、分からなかったらまた先生のとこに来て下さい。そのままは絶対駄目だよ。休んで、ただし授業の内容分からなかったらちゃんと聞きに来て下さい。ちゃんと教えますよと。そういう優しい事言ったら、逆に学生たちは“あぁ、先生に申し訳ない。少々寝ようと思ったら先生さらにまた優しい事言って、あぁ、こりゃ寝ちゃいけない”と一生懸命こうもう目が覚めてちょっと書いて、眠いちょっと勘弁して下さいという気持ちで切り替える。人間はそんなもんですよ。だから私のクラス、当時教えてた大学で今も自慢できるのがだいたい80%というか8割の方々みんな出席、最後まで。時は6時間電車時間かけてきてる学生たちいたりするけどね。なぜならば、やっぱり厳しいだけじゃないんですよ、教えるというのは。一方で優しいというか思いやりというのが、これ教育では大事。ただし、その先生だってテスト見てるから、この出来具合は相当危ないと、このまま行かせると社会に出たら笑い者になると、あっありがとうございます。

 

 人研員再び水を持って登場

 

 いやいやいや、もう早稲田大学は気が利くですからね、ちょっともう喉が渇いてたからね、ありがとうございます。いや冗談って言ったら本気でとってしまったです。(笑)

 

 えぇ、そのようなメトロで教えると、やり方すると学生たちもうみんな生き生きしてくるですね。あとモノトニ。まぁみなさんも経験あると思うけども、私もモノトニというのは同じことずーっと話するしね。たまには、少し笑う事があってもいいじゃないかと。特に私は工学系だから理系ですね。うぅん、もう先生も黒板見たきりで“えーほーはーとーへーほー”というのが同じリピートで結局眠くなるんですよ。だから私その事も先生に言ったけども、たまにはねラーメンの話でもあるいは芸能界の話でも、あるいは先生の家庭の話でも1つ事言って下さいよと、言わば90分の中にちょっとポーズだけつけてくださいと、だからこれは私のまぁあのー教育実習を教えてくれてた先生が言われてた事ですね。やっぱり授業は少しあの笑いですね。同じペースばっかりじゃなくて、必ずちょっと変えてやって下さいというような事で私やってた。だから今でもうちの私の教え子はもうみんな社会人になってるのがもうたくさん。我々教員という立場は一番ありがたいのが卒業した子供たちがね社会に出て活動して、あるやや立派になってく事だね。ただ私は日本の子供たち、学生たちに言いたいのはね、つまらない過ち、人生の止め方をしないで欲しいと、この頃はなんかつまらないなんか、人生疲れたとか、自殺とかねつまらない事多いですよ。私の人生見て下さい。アフリカで生まれて大学の同級生はみんな病気で死んでしまった。ここまでくるのが生易しいことじゃないんですよ。ましてさっき言った日本の国政、いわば日本の政治の中に外国人で仕事して、歴代の総理大臣と同じ目線で見て同じ議論して政策考えてやるというのは、普通の日本の秘書も出来ない事ですよ。これは出会いであるけれども、一生懸命という事。諦めない。人生は不可能ないの。私あの今宗男先生に言っているんだよ。たったの1年ちょっとだけ逮捕されてね、それで諦めたら話にならないよ。悪い事したら話は別ですね。マンデラさんは20数年ですよ、何も悪い事してないのに20数年で、特に当時は黒人がゴミみたいなもので叩かれて毎日、でも彼はマンデラ大統領は叩いてというのが、全然叩かれてるという気持ちじゃないんだよ。練習やってもらう、言わばブローみたいなもんですよ。叩かれたら大いに力が出てきましたよと、もっとやれと勇気持ってずーっと彼は20数年いたんだよ。で、彼は今黒人と白人のアパルトヘイト廃止の第一人者です。あの韓国の大統領もそう。アフリカ大体、所々、外国いえばね、国際法で見ると大体その方多いですよ。私の上司だった総理大臣が死刑された。国を裏切った証明まで出して、裁判にかかって裁判の結果は死刑。死刑場に連れてった。死刑のただ2時間前で真実出てきました。やっぱり間違ったと、これありうる?!いや、ホントに。これは嘘じゃないよ。彼もたくさん本書きました、この前亡くなったけれども病気でね、彼も大学の先生とかですね、スイスの大学の先生アメリカの大学の先生を務めて、外務大臣を4回やって首相やって死刑になったんです。ただ簡単に。“このような方いませんよ”と大統領はしょっちゅうしょっちゅう言ってたですよ。このような能力持ってる方いません。この方は間違いない、みんな見て、次の大統領と、じゃーどうやって殺すかという事ですよ。人間大体そうです。だけど彼は諦めなかった。2時間前で助かって、ワシントン DC のコンゴ大使になりまして、日本に来て私とずっと仕事してきたですよ。だからみなさん、大学に来て勉強して人生ちょっとだけ悩み、いやーもう人生疲れたから飛び降りるとか、自殺とかねつまらない事する必要はありません。志持って,こんな立派な国持って、こんな私アフリカという恵まれないとこに生まれてここまで来てるんだよ。みなさんチャンスは山ほどあるんだから。頑張る、ましてこんな良い大学に来る、私あの今コンゴの1つの大学の教授、客員教授やってるですが、クラスは何人くらいと思いますか??想像出来る??1000人、1500人のクラスだよ。それで黒板は昔のような色塗ってるやつですよ。クラスといっても外には何も壁はないんだよ。先生にはマイクは御座いません、私マイクついてるけれども。先生マイクないよ。聞いてるのは先生の前にいる100数人か、その先生の周りだよ。後はみんな一生懸命メモ、友達に“先生、何言ってる??”メモとって、その環境で勉強してるですよ。それでも諦めてない。必ずいつかの日で、いつの日か私が証明しますよという勇気持って生きてる子供たちですよ。だけど見て下さい、みなさん。ここの新宿で親が少々無理して、うちの子供早稲田入れないといけないんだよー、財布でもね出して行かせて、あるいは自分の努力でアルバイトしながらつらい思いして勉強来てる。少々のことでいやー疲れてる、人生疲れてる、そのぐらい私から見たら話にならないんだよ。勇気持って。この日本で生まれて、良い学校に行って先生方は山ほどいる、使ってください。私は今までうちの先生方めいっぱい使ってきました。時には怒られたんだよ、先生が今昼ごはん、やぁ先生昼ごはんですけれども片っ方食べながら私ちょっと、私の話聞いてくださいと、先生が持ってる能力を私は全部とる。時には私は先生の頭斬りたい位だよ、先生びっくりしちゃうんだよ。後はその先生がうちの東京電機大学の学長先生とかですね、先生の頭切りたいと恐ろしい話言うなと、殺したいって事かと、そうじゃない先生の持ってる脳を全部取りたい、持ってる立派なもの全部取りたいと、だから教えてくださいと、でその先生がやってた研究はほとんど私のものになってきて、私もたくさん論文書いて、今はもう先生と同じような形になって、先生も大変喜んでおられますですね。

 

 ただこの前の、2年前の事でムルアカ逮捕されるとかね、30億隠してるというのは先生みんな苦労したんですよ。“ムルアカ、ホントに貰ってないか”と、先生考えてみて下さい、30億どこをどうやって運ぶか、私見た事ないよ、1億でも。数字は見てるよ、でも、今になって私は何も取らなかった、で先生方喜んでるでございまして。

 

 まぁ鈴木宗男の話ちょっとだけ触れて下さいという事だったけども、あの人はホントに私から見たらね、日本のシステムというのは、私が言うまでもなく大体みなさん分かる、代々の方も多いです、例えば芸能界は誰々の子供、国会の中にも誰々の子供多いでございます。苦労しなくても地盤、金、選挙区全部出来上がってる。だけど一匹狼、言わばよそ者というのが案外叩かれるですよ。だから鈴木という人間は宗男さんというのが大体一匹狼という。よそ者みたい。そのような方がどんどんどんどん頑張って、目立っていいかと、潰せ、だけど私は鈴木先生に言うんだ、人間を潰すというのは簡単なものですよ、まぁ私が学者という事でいうのもおかしいですけれども、カニが変えてる人の人生もありますから、そのその人生は普通の人間言わば我々の脳はただの10数%しか覚えてないんだよ、それを超えてるレベルはこの人類ですから。その事をただの人間潰すとか、一握りの人間潰すとか短期間は潰せられるけど、人の人生は全部は潰せられない。不可能。人の死を決めるのは個人じゃないんですよ。そりゃ不可能だったら絶対に不可能。だから勇気を持って頑張って下さい。で、私が何でこんな事言ってるかというと、私は誰に何を言われても正しいものは正しいと、悪いものは悪いと、これ私の生き方、今までの。私はみんなに言ってきた。小泉さんでもそう、あるいは橋本さんであっても私は言う事は言うんだよ。だから私が最初ただ珍しい人間で私はあの、小泉さんとも付き合ってたけども、小泉さんはうぅん、閣僚はいいけども総理はいかがかなと言ったのは私です。それにみんなびっくりしたんだよ。えぇ、内閣総理大臣だろうとも本当の事言うのは何がいけないですか。そりゃ本人のためかもしれない、だけどさっき話しした例えばムネオハウスとかアフリカの問題とかですね様々、これ全部は作り話ですよ。私は見て分かってるから、私は現場にいた人間ですからでも現場にいた人間絶対に喋らさせないという、可哀想です。やっぱりみんな平等。民主主義、平等って確かにいろいろあるけれども、やっぱり民主主義と平等だから平等であるという自分の信念必ず、正しかったらしっかりして下さいと。それのが世の中やや真っ直ぐに動きますから。でも私はまぁ鈴木先生は非常に頑張り屋だなあと思った1つのいきさつがあってですね彼は大臣になった時に、あのー札幌で2人でちょっとあのーそれと SP とかですね、ラーメン食べに行ったんだよ。もうお腹すいていろいろ一生懸命あの人はもう仕事始めたらもう全然食べる事ほとんど考えないですから。でもお腹すいてるから食べないとならないから、結局またさらに今これから乗るだから“早く、ラーメン食べに行こう”と言って、熱いラーメン出まして、もう閣僚ですから普通のラーメン屋さんに入ったから、ラーメン屋さんもびっくりするんですよ、 SP と一緒に。だからみんな回りは“あっ、宗男さん”とこんな目立たないムルアカも一緒にいるですから(笑)えーっ?!という事だったけども。そうしてね鈴木先生がスープを食べようと思ったら、あの人コショウかけるですねラーメンに、ラーメンにコショウかけようと思ってね手を振ったらねコショウのキャップが取れちゃった。カポッって全部ラーメンの中に(笑)コショウ全部ボフッって私やばーいと思って、まずいだって取り替えられないでしょうもう、みんな見てる前ですから。で彼もね、いや私何とか自分の皿と鈴木先生の皿を交換して私があと食べないという事にすればいいかなと考えながらね、本人がねもう我慢してねもうラーメンとそのコショウ全部食べちゃったですね。で、食べてるうちもねもう鼻水出たりとかしてるんですからね。それであぁこれはツライなあと、顔真っ赤になってね、でも残しちゃいけないから、ねえせっかくのラーメン屋さんにあのみんな気づいてないんだよ。でも、彼は一生懸命それをね、せっかく頼んだラーメン大事にして、二口しか食べてない辞めたという事になったらラーメン屋さんも怒るよ、“何あの宗男さんが来てラーメン残しちゃって”うちのラーメンそのぐらい不味いかと思われるから困るで、我慢して全部食べたんだよ。イヤー、可哀想だなと思って。でも何も文句言わないでね、でも私の事だからもう笑いを隠せないね、私だからもうすごい笑っちゃったんですけどね(笑)いや、そういうもんだからねもう鈴木先生もう“いやーこのジョンどうかな”という事を思ったですけど、もう顔真っ赤とでこっちはもう我慢できないからその場ですごい笑ったですけどね。まぁ後は思い起こせば、あの閣僚であの沖縄行ったりとかですね、そしてエレベーターが来てもうたくさんの人がエレベーターに入ってるからそしてね、まぁ時間もギリギリだし上に行かないといけない、あの9階に行かないといけない、上も待ってもらってるでもなんかまだかまだかという事でもうねえエレベーター混んでるから、毎回来てるエレベーターは一杯いっぱいですから、で彼は困ったなあ、じゃあ階段で行こうと私は会場は9階だよと、いや行きますと、階段で上がったですよ9階までパタパタパタパタと。 SP と我々は全部残ってしまったですよ。だってあの人足早いもんだから。こんな私でも追いかけられないというはですね、あるいはフルマラソン出たりするけれども。

 

 まぁ最後ちょっと時間も迫ってきたですけれども、ええ出来れば10分ぐらい残してみなさんが聞きたい質問とかありましたらしたいですけれども。あのー国際のマナーと言えばですね、今我々若い人は、若いと言っても私はやや真ん中に来てるけれども若い人はマナーという事を忘れてしまおうという事に私の人生経験ですね、これもねあのー実際的にあるんだよ。例えばね、あの葡萄の食べ方とか、これ実際的にあるんですよ。ちょっと細かい事言おうと思ったけどね、カメラ撮ってる方々もいるですからほどほどに話しないとならないけれど、うぅんある偉い方がですねあのー大きなレセプション、ちょっとレセプションの名前も言おうと思ったけれどもあのね、例えばみなさん大きなパーティでお偉いさんと一緒に食べるチャンスもあると思う、増してみなさんこれから社会のほうにあるいはいろいろの仕事これからするでしょ、食べ物は食べやすいようにとるものですね。これ基本。例えば私は見てるのはね、ちょっとある偉いさんが普通は滅多に食べられないところですから何とか一杯食べようと思うですよ、一人の人間はね失敗したのは、私が今でも覚えているのはですね、メロンだったらメロンパパイヤだったらパパイヤそれとって食べて終わりですよ。だけど、メロンもう滅多にここに来るチャンスはないから、メロン、パパイヤ、葡萄とかねいろいろとってじゃあさあ食べて下さいと、葡萄というマナーは特にいい葡萄はあの、フォークとナイフで食べるものですね。これが難しい。一番たぶん、果物の中で一番難しいじゃないかなと私思うです。いろいろ練習してみたけど、無理だな、こりゃ押さえて皮を綺麗にとって真ん中に十字架みたいな形をつけて横に種をポトンポトンポトンと落としてフォークでさして下の皮にあの、ナイフで押さえて食べる。だけどその偉いさんが何したかというと、その事も知らないからもう前に座った方が上手い食べ方してるですね、えらい見事、そのお偉いさんはどうしようもないからね葡萄を普通の食べ方、手にとってコロコロコロコロポンというね、周りはみんな何事かと、でも戻す事は出来ない、まして量あるから。でも一個コロコロコロコロポン、二回コロコロコロコロポンとしたらみんなに何この人はという目で見られて、目の前を見たら上手く食べてるんです。じゃあどうしようかなと、どうやってやるという事は出来ない、まぁ三回目頑張ってコロコロポンと、でもなんかみんなに変な目で見られてるから結局食べられないんです。一番酷かったのは、レセプションにみなさんもし行くチャンスがある将来、先生方いらっしゃる先生はレセプション行ったりするけれど、レセプションに行く時に気をつけたほうがいい。案外セルフサービスで、自分で取る、真ん中にデコレーションがある。私見たのがこれ恐ろしい話ですよ。なんでかというとお皿の周りに肉を入れて、真ん中になんかでっかいのがあるのがね、プッシュノイザ、牛のこのイザですね、そのイザを乗せてデコレーションきれいにして肉が見えるように、言わば綺麗に見えるようにしてるんですよ。その偉いさんが何したと思う、みんながこの横にある肉は薄いでしょ食べやすいようになってるから、滅多にこんなチャンスはないから一番でっかい肉をとろうと思って、ガブッってとった、取ったのはねこの肉のイザ、皿に乗せてもちろんまわりはデコレーションしてるからその音しないからとった、周りにいたボーイさんみんなえぇ!?とすぐみんなあれは危ない危ない危ないという目つきになってですね、その先生が今度食べようという事になって、フォークを刺そうと思って、肉だと思って刺したらこの牛のザラからお皿の中におぉっと動きます。捕まえようと思っても出来ない。ナイフでつかもうとしたら、本人が気づいた。やっ、これは食べるものじゃないと、こりゃイザだ、駄目だ、もう汗びっしょりででもみんな回り見てるから辞めることも出来ない。頑張ろうと思いながら横のものでも根、デコレーションでもとって食べようと思って、余計デコレーションがでこぼこ落とすんですからね。何も出来ない、もうお皿とフォークの、みんな大笑い、もう私の事だからもう我慢できなくなって、いやいやあの先生私の顔見たらたぶんもう二度とこの男には会いたくないというぐらいですね、だって私もう我慢できないよ、笑う時に笑う男だから、見たら今の私の汗の20倍ぐらい、もう汗びっしょりでどうしようもない。結局時間かかって苦労したというのが私いつもみなさんに、特に若い人はどこへ行っても必ずあのよく見て、私たち外国人もそうですよ、まぁ外人といってもこの国に20年いるからもう時々私は、私はホントに外国人それとも日本人?!たまにはちょっと鏡見ようかなと思ったりするけど(笑)見たらあぁやっぱりまだ外国人だとうことで安心するけれども。まぁそのようなもので、そのような形でまぁ注意しながら、例えばよくあのお葬式に行くとですね、あのこうお線香を取ったり、こう持ち上げてあの三回でそして祈り、ご冥福を祈りするけれども、これを分からない外国人もいて、当時のうちのアフリカにいるオスマン・サンコン、食べてしまったですね(笑)いや、ホントに。彼は何やってるのか分からない、なんか手でとってこっちでとった時に見えるでしょ、それでこっちに来た時に上に上げてる時にどこに行ってるか分からない、それでみんな下ろしてるから、それを彼は知らないからあぁ食べてるのだなあという風に理解して、とって口に入れちゃうとって口に入れちゃう、そしたらなんか口の中にくっついてるんだよ、不味いとか言って、お前それは食べるもんじゃないっていう事にね、それはなぜかというと勉強してないんですね。やっぱり恥ずかしくないから旅行でも行ってよく覚えてるですね。うん、私は逆にそれがもっとも大事ですから、みなさんも若い人は覚えておいたほうかいい。他にはお線香じゃなくてね、こう何かな小さい木みたいなもの貰って、これをグルーって回して置いてお祈りするですね。その事も覚えないとですね、全然駄目ですからね、だから非常にマナーというそのところでいろいろ注意しなといかなり間違いをですね、起こすこと多々あったりするもんですから、私はその辺でまぁすごい注意しながらですね、ただこれだけはもう何を頑張っても、今やっとよくなってきたですけれども、苦労したのがですね、お葬式ってお坊さんのあれ長くて、しびれてしまった。しびれてもう立てられないんだよ。もうこれはどうかならないかなとずっと思って、もうホントに逆に鈴木先生は座るのに慣れてるから、足はもう私と同じかそんな変わらないけれども、やや低いほうですけどね、あの“おぉ、ジョン行こう!”っていう事言うですけどね、行かないよこっちは(笑)どうも出来ないよというのが、ありゃかなりね危ないよ。しばらく真っ直ぐしてもね、もう血液流れないんですから。完全にしびれて私それだけね、特に慣れてないからね、私空手やってたからもう足のところはボコボコしてるんですよ、そのボコボコに増して、板の間みたいなところでよく葬式って“どうぞ、お客さん”って、座布団ないけどそのままして下さいというのは、そのままというのはこれは痛いよと思ったが、でも文句出来ないですから、お葬式ですからね、それで10分15分、お坊さん早くしてよという心の中ですよ、もうお坊さんは気持ち乗ってるからね、いやいやホント。いや私思ったのはお経は気持ち乗ってると止められないんだよ。いや、あのね私はカトリック系ですけれども、はカトリックの世界は、あのみなさん神父さんやるですね、私あの昔あのアコリッツトいう言わば神父さんに水持って行ってあげたり、いろいろやってた仕事をちょっとやってたですね。そしてね、どうも神父さんがねあのあれでキリストの血という事で、お祈りする時にワイン、いいワイン出てくるとね神父は一回で終わらないからね。入れて入れてと飲んでるんだよ、これ。こりゃ美味いものだから止められないんだよ、もうちょっと長すぎじゃないかなと思ったりするけど、子供の心というのはですねもうこの神父さんはアルコール好きだからね、ましてや美味いワイン注いだ時に、ありゃいろいろワインを分かっててですね、ボロボロになったらミサが長くなるんだよ、というのが、その場面でもらうのは普通は一回洗ったら、結婚式に出た方は分かるけど、一回洗ったら飲んで、そして割って綺麗に洗って戻す。だけども、もう撮って下さい、いいよ遠慮なく前に出てもかまいませんよ。いい?!

 

 最前列の観客 ムルアカ氏を正面から撮影

 

 いやいやいや、でも好きな時はお坊さんがそれ終わってるのにあれは何回かボトルを向こうに入れてるですね、隠してるから。そして持ってきて、入れて持ってきて、案外あまり美味しくないワインはねすぐもう止めちゃうという、ミサを続けて終わらせるという。だからその考え方って、まぁこの坊さんもほんとになんかなかなか終わらないとか思って引率してたけども、まぁええ私は芸能界にまぁ長年いて、ほとんど目立たなかった時代もたくさん多くてまぁでも結構長い、まぁ日本の文化言わば日本の芸能界の世界も面白いなって事でずっとやってたですね。だから昔今のスマップという今の若い人ですね、当時はまだ若い頃私と一緒に同じ番組やったりとかですね、よく頭にボコボコやってたけどね、聞かないかー!ボーンとやってたですけどね、今みんな大スターになってしまったですけど。ええでもまぁあのーえー、あれはマー坊とかかなり有名になったけど、まぁその方々非常に心あるけどね、あのさんまさんとかですね、昔をよく知ってるグループの仲間ですから、でもまぁいいお付き合いをさせてもらってですね、ただ私芸能界の事で一つ思ったのは、あのこれは怖いわ。女優といわれてる方々はね、テレビに出たらわぁこの方よく知ってる、すごい、楽屋入ってみてください、あれ?!このおばさん何やってるのこんなところでと思うぐらい、ちょっと失礼な事ですけども、結構いるんですよ。私は日本の化粧というのはすごいなと思ったりするけどね、これ化粧取ったらね、普段の状態であれ、この方誰かなと思って、“あぁ、ムルアカさん。しばらくでした”、あのどなた様、あのなんかそうか声と思って、あぁどうもというのが結構いますですよ。そのぐらい化粧はすごい、芸能界はね、いや私がちょっと聞いた面白い話が一つあってですね、あのーこの光 GENJI というあのグループがいましてですね、それでちょっと今カメラ回されてるから、あの名前はあれですからね、 K ・ T というあの年配、通常私たちはえぇと何かなえぇとたまねぎ婆さんということで呼んでるですけども、その方一回なんか、光 GENJI にね“君遊びに来て下さい”とうちで住所も教えてですね、あぁこれは先輩に家まで来て下さいと言われたらこれ行かないと、芸能界に響いてくる可能性があるから行かないといけない、彼行ったですね、それで家にいると普通は化粧しませんからね、普段状態でピンポーンってしたら、名前も書いてあるから間違いない、でもね、あのスタジオで会ってる雰囲気だけですからあれ出てくるなと見たらなんか変なおばさんが出てきて、“あっ、どうぞどうぞ”と言う。で“あっ、間違えました”となんか言って逃げた、“いや、私だよー”と呼ばれてね、あれー?!ちょっと、声はちょっとそうけども、なんか顔違う、あれーと言って逃げちゃったですね。“何で逃げてるのー”と追いかけられて、結局よく見たら本物だったですね、というような笑い話ですね、まぁあったりするけれども、まぁホントにそうです。私も実はまぁいろいろの仲間と付き合ってるけども、時はねえ、あの女優といって、まぁ今度はご飯食べましょうで、あぁいいよいいよいいよもう今度電話しますと言って電話かかってこない。今日空いてます?空いてますよ、ご飯食べましょう、どこどこでじゃあアポイントメントしましょうと言って、じゃあ一応女優だからそれでやっぱりね、あの自分の化粧したところが出たら万が一ねえ、つまらないところで写真取られたりしたら大変だから、化粧しませんから。変なメガネして、変な形の服してね、普段着みたいな形で来る女優もいたりするけどね。私も一回はある方にね、“いやお待たせしました”、ええぇ?!、この人なんかちょっと変わってる、何を待たせたと思ってるんだろう、私が待ってる人は別なのにと思ったけど、いや本人だったですね。“あれ、どうしたの?!怒ってる?!”いや怒ってないけれども、いや怒ってないけれど私は別人と喋ってる感覚ですね、いや怒ってないけれども、心の中で関係ない人間に声かけられたらちょっと危ないなと思って、“あっ、ごめんねー。多分たくさん待たせたかもしれないけども、でもそんな5分しかたってないじゃない。ハハ”と、本人だったですね。あらーこれ化粧すると、こうも変わるかなと思って、みなさん特に男性の方みなさんですね、あのこれから人生これからですから、もうお嫁もらったりするからもう必ずね、あのあまり夜急に会った人でね、いきなりプロポーズ、いやこの人美しいと思って、いやもうこれ命かけるこの人に、一緒に結婚して下さいと言ったらやばい話よ(笑)化粧取ったら、あれ?!っていう事になる可能性ありますから。まぁそのくらいまぁあの、日本の女性は優しいですから、みんなじゃないですけど、まぁ普段の学生のみなさんは、特に女性の方は綺麗ですからこれからですから、あまりねなんかそのあのー夜の女性がやってる化粧はこれ恐ろしいよ。私も見た我々も、外国のお客さんに接待してですね、あの大統領クラスになってそれで何かな、夜の一番人気ある女性たち集めてですね、そこで食事させておもてなし、これ日本の伝統、でも出てくる時は女性はえー?!これホントに人間?!と思うぐらい綺麗だよ。私も見たら、わぁすごい綺麗な方だなと思ってですね、たまたま外で“えー!ムルアカさん覚えてる?この前の”と言われ、えっ?!私?!あっ?!あなたあそこにいたの、という事で喋ってると一番目立った方ですね。何でここが分かったかなと、あらー綺麗って言いたいけれどそんな程じゃないかという事に遭遇したりするけど、化粧はねうんほどほど、私はうちのにいつも言ってるけどね、化粧はほどほど、自分のナチュラルでは何が言いたいかというと、私は芸能界の方にはいつも言うけど、いろいろ塗るのはこれは商売でしょうがないけれども、でも女性のいい化粧は笑う事ですよ。これ超えてるレベルないよ。この自然体が一番いいんだよ。だからムルアカさんが、どう変わってもムルアカさんの優しいそう、笑う事はこれは見事いいもんだなという事言ったら、何だ言ってるのという事いつも言われてるけれども。えぇ、いろいろ国会とかあるいは芸能界とかいろいろあったりするけれでも、一番面白いのはもうホントに、私今最近年金問題で問われてるけれどね、ホントにね腹立たしいですけども、もうちょっと払ってない方払ってないと言うはですね、国民ごめんなさいと嘘つきまして、だって法律作ってる方だから、間違ったというような事でね反省という気持ちあってしかるべきですけれどね。制度が悪い、その制度は誰が作ったの、制度のせいじゃないんだよという事を私は言いたいですね、まずその申し訳ないという事でさっき言ったようにごめんなさい、ごめんねという事で済む話ですね。許してごめんね、私も人間ですから許して下さい、ありがとうごめんなさいという事にそして真実持っていれば、みなさんものすごいいい事出来るし、そして不可能はないという事。

 

 世の中の人生は不可能ありません。不可能あれば私はここにいません。私いつも言ってるけど、出来ない事やるのが私面白い、だから私はムルアカだと、自分では私は何だろう、さっきのねえ幹事長言ったですけれども、ムルアカさんの職業は何だろう、それはなんだろなーと私自分でも思うですよ。ただ私は全てのもの勉強してきた以上は、私はもう立派な先生に教えてもらった、その先生方に私にとって宝物という事ですから、その宝物を生かしてですねその知恵を生かして、出来る事やるのは当たり前、出来ない事やるのが私ということですから。だからいつも私は何をやればいいかという事、まだ考えてない、人間普通は何にも考えてない事いろいろ考えて出すというのが、最後に私この一つ事をみなさんに教えたい事は、特に若い人にですね、インスピレーション、私あの、私の多くの先生特に私が最初に教えてもらった先生たちもう大体100歳ぐらい近くなって、90何歳とほとんどですけども、ある先生がですね山に住んでたですよ。私今でも山に住んでるんですけど。その先生が私に言った、こんなごちゃごちゃしたところにずーっと考えても思いつかない。山に行く時に、インスピレーション起こると。あぁそうか、そういえば発明してる方々、世界の中の、多くの数学でもいい物理でもいい社会でもいい良いもの考えてる方々、みんな静かに座ってる時に、ポッと出てきた、あっ、これだとメモして、それやってくるのがこれインスピレーション。これどこから来てると。これはね、夢見てもいい、夢見た事をメモして下さい。なんか急に変な不思議だなーという事に、あるいは勉強してた事に分からない事に、思い出してすぐそのままにしておくと、すぐ忘れるですから。メモして下さい。これはねインスピレーションすごい。だから早稲田で勉強して、時にはみなさんキャンプに行きます、時には静かに座ってだよ、私の人生なんだったなー、私はどうすればいいかなー、その時は何も出てこない。ある時シーンと何も考えてないのに、パンッと出てきます。これインスピレーションという。

 

 だから今日私の講演は真実、ごめんなさい、ありがとう、そしてインスピレーションという、これ生かせばですね大変な事と私は思う。私は昔から日本来た時に思い出した事は、シガス、フレキャンシー、フレキャンシーはどのものかと。アフリカで喋って日本で聞く、すぐリアルタイムで聞こえた、音で研究するのがこの仕組みかなと、ではシガスはどのものかと。電波飛ぶは今も無茶苦茶ですよ。早稲田行きますから、もう早稲田だけ押せばすぐ早稲田で移動してくれるですよ。これ全部は電波という関係ですよ。これ私日本来てまだ何も分からない時に、ポーンッと座った時にきたのがフレキャンシー。フレキャンシーというのは何か私メモしたんです。いろいろ研究しながらこのフレキャンシーというものはどんどんどんどん考えてきまして、今21世紀になってフレキャンシーというものは、大変なこれから21世紀のものすごいいろいろ誰が何で私がフレキャンシー出てきたと、どこからその知恵が出てきたと、だから簡単に言うとみなさん大学生ですから、大人になってメモ、聞いた話でもメモして下さい。そのメモは捨てないで、出来れば手帳。私はもう昔から自分の手帳は15年かそのぐらい近くで、アフリカで手帳はとてもじゃないけど買えないですからね、でも日本来てから全部手帳に書いてるんだよ。日記じゃないけれどもいろいろ思い出した事メモして、そしたら絶対に人生誤らない。必ず不可能はない。どんな時代で苦労してるというのが、坂のぼってるですから。苦労しない人生何にものぼってないという事。だから若干大変と思ったら、そのぐらい努力してるんだよ。考えたり分析したりという事は上がってる。だけども、しばらく何にもない人生ダラダラなってくるとこの状態ですね。だから私は、時は工学的にいえばフローチャーですね。いろいろ図を書いて、これで A さん B さん C さんこの話こっちに言った時にどの反応があるか、例えばみなさんに親にこう言った、親に怒られた、何で怒られてるかと人間の言うタイミングを考えれば大した事ないんですよ。どの事でも相談できる。だから impossible はない。 All is possible. だからタイミングを計ればいい。先生が喜んでる時に、先生実は私この事で悩んでると、何とか協力頂けないか、せっかく先生のいい気持ちでいる時には、おぉわかったわかったと約束を果たすんですね。だけど先生がイライラしてる時に、いろいろの事考えてる時に、先生これもやって下さいとか、これで悩んでますとか、いいタイミングですよ。人生出会い。その出会いを作る。人生は歴史作る。歴史はさらに歴史作る。

 

 あんまり喋ると6時間かかってしまうですけれども、今日はこのぐらいで、まぁ講演になったかどうかはわかりませんけれども、またみなさんにお会いできる事を期待しながらですね、えぇせっかくですから、時間もほとんど過ぎて来ましたけども、1つ2つなんか特別これ聞きたかったという事ありましたら分かる範囲でお答えしますんで。どうでしょうか??なんでもいいですよ。

 

 

学生 A ムルアカさんにお聞きしたいんですけど、ラジャー・ライオンとの対決ってどうなったんですか。

 

ムルアカ氏いや、あのー、あの人はねこれも素人。もうボブ・サップと同じであれも素人。もともと私あのこう見えてもたくさん付き合ってきましたですけれでも、もともとあの猪木さんよりは馬場さん、なんか馬場さんと以上に親しくしてた。馬場さんすごい優しい男ですよ。それで馬場さんは外国人の方好きですよ。私もその中の一人ですね。そしてそのロジャー・ライオンという人が日本に来た時に、馬場がなんとかやってあげようと、ほんとにあのぐらいなら馬場さんが一発で終わらせるけれども、多目に作ったんですよ。言わばそのえー、ショウのところですよ。プロレスはショウ。ほんとのリアルという事になったら大変ですよ。小でやらないとその方、面白い、体力持ってない方と思ってたから、ちょっとショウに持っていこうと思ったから持ち上げたんですよ、だけどほんとのプロの世界であのような方、話にならないですよ。

 

 

学生 B 先ほど本物と偽物の話をなされてたと思うんですけれど、その見分け方というのは。

 

ムルアカ氏:あのねこれは哲学を勉強すれば分かる事ですけども、出来れば早稲田大学にいる時に、まぁその先生方と接触してですね、人間というのは目は嘘をつきません。目ね。相手と喋る時は目をよく見てください。その方が本物じゃない、あるいは言ってる事真実じゃない、よく目、私は時々目で見るですね。人間を区別する時、ずっと喋ってる時目を見て、本とじゃなければ必ず反応しますから、それ笑ってみて下さい。この人本物じゃないと思ったら笑ってみて下さい。向こうの反応がすぐ分かる。それ全部分析の事ですよ。だからせっかく早稲田にいるですから、すごい先生方山ほど、天才の先生いるから使って下さい。教えてもらって、その本物と偽物。だから私一つ、ちょっとここで言っていいかな、あの民主党の党首でねこれは偽物だなと思った人がいたんだよ。うん、そして握手したんだよ2人で、ガーッと私は逃げてね、そしてねこれは政治ゲームと言うですけど、がチンとつけたね力、だから彼はすごい痛かったね、でも言えないんだよ、 SP が近くについてたから、恥ずかしいからもう触れてしまったですね。あぁこの人はこのぐらい弱いだなと、普通だったらちょっと痛いよ、お手柔らかにして下さいと、これはリーダーですね。これは相手をテストする、どんな人間かを、ガブンとやった時に泣きそうになっちゃったから。だからこれ区別というのは分析とか能力というのが、多くの先生方、せっかくこのいる限りは先生たち使ってですね、あのやったほうがいいと思います。

 

 

学生 C アフリカから違う国ではなく日本を選んだきっかけとかを教えて下さいというのが1つと、もう一つは科学に携わっていらっしゃるんですけど、タレント活動とあまりつながりがないようなんですが、科学への思いも教えて下さい。

 

ムルアカ氏:まぁあのありがとうございます。アフリカから日本に来たきっかけはただ一つ、歴史で見て日本はどのくらい戦争でいろいろ事情はたくさんございました、全世界ね、だけど日本の一般の国民がどれくらい辛い思いしたか、そしてそれでもあまり文句を言わないで一生懸命立ち上がって頑張ってきた。このような事にアフリカの方々もですね、昔の植民地時代とかいろいろの辛い事ばっかり主張してるですけども、それ考えなければ、私が日本に行ってそれ行って勉強して、日本の良いところとそしてアフリカの良いところでそれでお互いにこう勉強すればどうかと私が1つ来たきっかけ。そうなると恵まれない子供たち言わば、自分たちの力で何とか生きてかれるとこれ、私が日本に来た主なきっかけですね。えぇ、まぁこの学者やりながらタレントと言うですかね、私あの人生というものはあのー、こういろいろ勉強してくるとどんな事でも出来るですから。だからそのいきなり例えば今日本の中で私がやってる専門で話、テレビとかラジオとか新聞とかやるというのは不可能な話ですよ。フランス語でこんなことわざ、どの道でもローマに行かれると、人生出会い、テレビで出会った方々様々な能力持ってる方々たくさんいます、その方々も付き合いながら自分の道を生かしながらですね、考えて企画しながら面白いじゃないかなーと、実はそうです。で、私はあんまり自分で学者とか大学の先生とかあんまり大きいところは見せたくない、私の人生は。飽くまでみんなと同じ、だけれどもあるところでしっかりしたものやってるという事で、もちろん自分も学者として論文とか研究とかしないとならないんですけれども、あのー私が呼ばれてテレビ出て下さいとか、新聞書いて下さいとかあるいはこの連載して下さい、あるいは本書いて下さいというのは、私のこんな考え方が多くの方々に役に立つならば素晴らしい事です。こう私の考え方でやってるですけれど。あのーいくらでも呼ばれたら私は行きますし、昔はあのさっき言ったように子供の番組ひらけポンキッキという番組も出たり、今も大人になった安達祐実さんと一緒にポンキッキに一緒に出て、祐実ちゃんが大きくなって、彼女が9歳から私は付き合ってるですね、付き合ってるというのは変な事じゃないよ、ちょっとそれ言ったほうがいいね、付き合ってるというのはそれ仕事やってるですね、でも今大人になって祐実ちゃんが私の事見たら、“ジョーン”って飛んでくる、言わば自分のお父さんみたいなもんですね、マスコミはどんなご関係ですかと言うですが、馬鹿言えって、私の娘みたいなもんですよと。要はなんでかっていうと、例えばポンキッキの中に日本の子供は1つだけの言葉しか喋らないですね、今の段階では。我々アフリカでは2つ3つ4つ、で日本の子供はほんとに言葉たくさん出来ないかと、それ私研究しようと思ってポンキッキの中で音楽作って、そこの中に4つぐらいか5つぐらいの言葉したですね。そして、子供たちこれノート見ないでずっと全国はどこでも歌ってた。結果は何かというと、世の中の子供はみんな同じ能力持ってる、ただそのコンプレックスという、学問になると人間は緊張する、その緊張すると我々の脳の研究は脳の活動はあまり動かないんですよ、そうなると思い出す事よく試験で、これみなさんちょっと学生ですから、試験で緊張すると思い出せないんですよ。これ何、緊張してるですよ。よく音楽みなさん、音楽とか英語の音楽とかフランス語の音楽とかいろいろドイツ語の音楽でも、みんな簡単にカラオケ歌いますですね。これは何かと、リラックスしてるですよ。人間リラックスすると思い出しやすいですよ。だから、一番分かりやすい簡単な例を言うと、好きな女性にプロポーズしようと思って言葉も出てこない。何でかというと緊張してるからですよ。どう言えばいいかと、分かってるけれども口に出てこないのは何でかっていうと緊張してるですね、で緊張しなければ何でも言えるですね。だからそれでまぁ私がいろいろこの業界というかテレビの世界と一般の研究と自分で時々企画しながらいろいろの事に勉強してまぁあの作っていくという考え方ですね。

 

学生 D 今まで出会いが大切とおっしゃって、たくさんの人に出会って影響とか受けてこられたと思うんですけど、そういう人たちへの恩返しはどういった形でされてますか。

 

ムルアカ氏:いや、私あの私の恩返し多くの方、特に日本の1億2千7百万人への恩返しは、私が日本を思ってる気持ちと。日本はどう何やっても、自分で必ず日本の不利益は考えないと。日本のために、せっかく日本のみなさんたくさん教えてもらって、日本の嫁ももらって子供までいるという以上は、日本の言わば親戚ですね。日本の不利益は考えないと、そして教えてもらった先生方に必ず先生方に喜んでもらおうという事で、必ず仕事して学者として、例えばその論文引き続き、せっかく教えてもらってるから論文ずっと出すと。出来る限りに研究して、研究は金かかるからその先生方が、ムルアカ君は論文出しました、この雑誌で論文出しました、いやムルアカ君は若いのに実証できましたというような事に先生方、私の先輩の先生に私は恩返しする。あるいは社会の学生たちに、私が一方的に学校で教えてるじゃなくて、お互いに勉強してるですからその子供たちにも、ムルアカ先生はあのまぁ人間であるけれども悪い事はそんなしてないという、非常に一生懸命やってくれてると、あの先生を我々は誇りに思うというような事が私の恩返しですから。そして将来はこの若い学生たちとか、あるいは若い人たちにアフリカに一緒に行ったりとか、向こうで勉強してもらったりとか、さっき言った日本では14キロみなさんなかなか歩けないですね、でもアフリカ例えばケニアですとかうちに国は、私でさえ子供の頃14キロぐらい歩いてたですね。でも時々私日本から、当時私あの神田の大学、神田から投じ住んでた足立区まで何回も歩いてたですね。普通は見たら、えぇ?!と思うぐらいでも私はもうずっとやったりしてたけど、そのような今みなさんいる状態は世の中にとって最高の幸せだよと、ここの国だけ見るじゃなくって、海の向こう側もよく見れば自分たちの置かれてる状態はすごい立派だよと、さらに頑張ってくださいと言うのが私の恩返しであったりするですけれども。まぁ足りないかもしれないですけれど、今のところそのぐらいで考えてます。

 

 えぇまぁホントに以上、もうあのサービスもしましたし、ただまぁあの宗男先生もホントに今回来れなかったというのは当選してですね早稲田に来て、みなさんと一緒に意見交換すればいいじゃないかなと思ったりするけれども、私はもう一人一人ずっとこうして喋ってる時に、ここからずっと向こうに行ってあの、今いる先生方、先輩方のところ見てですね出来れば顔覚えて、どこか出会う時にあっ、この方会いましたなと、早稲田で会いましたなという感じで見てるから、人生出会いですから、この出会いはですね無駄な出会いにならないようにお互いに頑張って、そして将来はですね喜べる日とかですね、悲しい時でも雨の時でも辛い時でもこれも人生ですから、ぜひ一緒に頑張って欲しいと思いまして、以上もちまして私の講演でございます。ありがとうございます。